【書評】『シャーロック・ケースブック』ガイ・アダムス著 加藤祐子訳/早川書房/2310円
【評者】大塚英志(まんが原作者)
イギリスBBCで放送されたTVドラマ「SHERLOCK」はコナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」の現代版。ホームズの「二次創作」はミステリーの歴史においては一種の定番だけれど、これは「ホームズ」「ワトソン」が「シャーロック」「ジョン」とファーストネームで呼ばれ、ジョンはシャーロックの「事件簿」を本でなくブログに書き、シャーロックはコカイン中毒でなくニコチン中毒で、推理の時はニコチンパッチを腕に貼る。
下宿のハドソン夫人は同宿を始めた彼ら二人がゲイだと思っていて妙に理解があり、モリアーティはレクター教授を躁状態にしたサイコパス。しかし「パロディ」ではなく、きっちりとホームズが現代に置き換えられている。とにかく一つ一つの細部がきっちりと古典としての「ホームズ」を踏まえた「趣向」が凝らされているのだ。
ぼくが海外のミステリードラマを見ていて日本と違うと思うのは、TV番組の前提に「古典」や「教養」があることだ。別にイギリスだからシェイクスピアというのではなく、むしろ19世紀の大衆小説としてのホームズが「古典」としてTV視聴者の教養にあることがドラマ作りの前提にある。
アメリカのドラマなら『NCIS』の捜査官ディノッゾがハリウッド映画の古典に毎回言及するのも同じで、送り手も受け手も、大衆文化としてのTVは大衆文化としての古典をリスペクトし、共有している。
今の日本のサブカルチャーがつまんねーよ、と思うのは、まんがもアニメもポップスもプロレスも大衆文化を「古典」や「教養」としていない送り手と受け手によって作られ消費されているからで、それは単なる不勉強で馬鹿なだけじゃん、といい加減言っといてもいい気がする。
馬鹿だよ、オマエら。「教養」抜きのサブカルチャーが多分、この国の大衆をこの20年ほど致命的に馬鹿にしていて、教育のせいじゃないよ、この民度の低さは、と思う。
ちなみに本書は日本のファンでも大丈夫のキャラ消費本。
※週刊ポスト2013年5月3・10日号