プロ野球の名選手といえば、野球に詳しくなくとも王貞治や長嶋茂雄の名前を挙げるだろう。そして、ファンであれば沢村栄治や景浦將の名を口にするかもしれない。しかしその陰には、彼らに負けない成績やインパクトを残した者たちがいる。忘れられた昭和の名選手たちの姿に迫る。
選手としての能力のみならずキャラクターで話題となったのが、近鉄の永淵洋三。無類の酒好きで、二日酔いで好打を放つことから、漫画家・水島新司が『あぶさん』のモデルとした。
プレー面も入団当初から“破天荒”だった。三原脩監督は当初、永淵に投手、野手、代打の3役を命じる。代打→次の回から登板→途中で外野守備といった、現在の大谷翔平(日本ハム)で話題の「二刀流」を実際にこなしていた。入団2年目から野手に専念したが、その年にいきなり張本勲と首位打者を分け合っている。
モデルといえば、1956年に南海入りした穴吹義雄もその1人。入団前の複数球団による穴吹争奪戦は、『あなた買います』という松竹の映画になった。入団初年の開幕戦でサヨナラ弾を放つ華々しいデビューを飾ったものの、現役13年間で814安打、89本塁打という成績で引退した。
ドラフトが史上最も華やかだったのが1968年。田淵幸一(阪神)、星野仙一、(中日)、山本浩二(広島)、山田久志(阪急)、有藤道世(ロッテ)、東尾修(西鉄)らに並んで、巨人が1位指名したのが島野修だった。
巨人入りを熱望していた星野が、「シマとホシの間違いではないか」とボヤいたとされて注目を浴びたが、一軍では1勝のみ。移籍先の阪急にそのまま球団職員として残り、マスコット「ブレービー」の着ぐるみを着ていたことで知られている。
また、一軍登板のないまま二軍での最多登板記録を作った選手もいる。2004年のドラフト9位で中日に入団した金剛弘樹。二軍で8年間、282試合に登板。2009年には13セーブをマークしたものの、公式戦のマウンドは一度も踏めなかった。
※週刊ポスト2013年5月17日号