日本の古代史において、大きな謎となっているのが邪馬台国の女王・卑弥呼。そもそも卑弥呼とは、いったい何者だったのか。
日本史の教科書に描かれる卑弥呼は、魏志倭人伝の記述を基に、〈神に仕える巫女で、宗教的権威を持つ女王〉とされるのが一般的だ。元佐賀女子短期大学学長の高島忠平氏は、こう指摘する。
「九州北部にある弥生前半の古墳の埋葬様式から、巫女が社会的に高い地位を持ち始め、次第に国を統治できるような巫女が出現した経緯が読み取れる」
こうした見解がある一方で、実は卑弥呼には、「古事記」や「日本書紀」で天皇の祖神とされている天照大神だとする説もある。
実在が確実とされる天皇の在位年数から、日本神話に登場する天皇の在位年数を推測すると卑弥呼と天照大神は年代が丁度重なるとし、天照大神は卑弥呼を神格化したものであるとする説だ。専門家はどう見ているのだろうか。
「確かに古くから天照大神説や日本書紀の記述から神功皇后だとする説がある。しかし、魏志倭人伝によれば、当時はまだ邪馬台国と対立する狗奴国が激しく争っている時代で、卑弥呼は日本全国を統一した倭国の女王という立場にない。
だからこそ、卑弥呼も後ろ盾を求めて魏と通交し、皇帝から『親魏倭王』の称号を得ている。やはり、巫女として邪馬台国という小国連合を治めた女性首長と考えるのが素直な見方だろう」(高島氏)
卑弥呼も天照大神も女性で生涯夫を持たなかったと伝えられるなど共通項も多いだけに、卑弥呼を天皇の起源とする説にも一応の説得力はあるのだ。
※週刊ポスト2013年5月24日号