フーゾクの実態を知るにつけ、大きな疑問が浮かぶ。なぜ警察は、実際には売春を行なっているはずの風俗店を取り締まらないのか。そこには、警察と風俗店の複雑な関係があった。
『さいごの色街 飛田』の著者、井上理津子氏は以前、飛田新地の大門(入り口)から300メートルほど離れた西成警察署を訪れ、「2階で売春が行なわれていることが明らかな飛田をなぜ取り締まらないのか」と単刀直入に尋ねたことがある。すると、警察署の生活安全課はあっさり答えたという。
「実際問題、被害者からの通報がないと我々は動けない。我々だって、料亭の2階で何が行なわれているかは察しが付くが、だからといって踏み込めない。自分が飛田の料亭に上がって、こんなことがあったと誰が通報してきますか。手入れにつながるのは、シャブ(覚せい剤)とかの別件で逮捕した容疑者が、事情聴取のときに、いついつ飛田で働いていましたということを供述したときです」
このように、風俗と警察には、「なあなあ」という言葉がよく似合う。『新・フーゾクの経済学』の著者で風俗評論家の岩永文夫氏は、そうした関係は江戸時代以来の伝統だと指摘する。
「そもそも、江戸時代のはじめ、日本橋付近に『元吉原』(火事で現在の新吉原に移転)がなぜできたかといえば、豊臣家が潰れたばかりで社会が不穏な状況だったため、権力に逆らう可能性のある危険分子を一か所に集めておく必要があった。そのために遊廓を作り、囲いで覆った。つまり、遊廓は成り立ちからしてお上の支配構造の一つだった。その代わり、お目こぼしがあったわけです」
※週刊ポスト2013年6月7日号