「“あ、お母さん、元気になった。治ったのね。よかったね”と声をかけようとした瞬間、はっとして、ああ夢だったんだということが何度あったかしれません」
『十年介護』(小学館文庫)の著者、町亞聖(41才)の母・広美さんが、くも膜下出血で倒れたのは40才のとき。手術は発見から3日目。一命は取り留めたものの、脳梗塞を併発。右半身不随、言語障害、知能の低下という重い障害を負ってしまう。
そうした障害から解き放たれて、回復した母の姿を夢にみて、夢ならさめないで、と願う著者はそのとき高校3年生だった。ごく普通の高校生が、いきなり看病と介護、家事や弟妹の世話などを一身に背負うことになる。片時も離れずに一生懸命に看病をしながらも、妻の病気というショックから、酒量が増えていく父の秀哲さんのことも気遣わなければならなかった。
「お金の苦労もありました。入院費、治療費もですが、家族が病院に通う交通費も、毎日となるとばかにならないのです。家計のやりくりも自分ひとりで考えてきました」(町・「」内以下同)
<食事についていえば、一週間スパゲッティーが続いたり、竹輪の磯辺揚げを毎日食べ続けたりしたこともある>
と、本書にも正直に、健気に書いている。ただ、悲愴感はあまりなかった。
「大変だとかつらいとか、思わなかったと言えばうそになりますが、開頭手術のために髪の毛を剃り、障害のために思うことも言えなくなった母を見ていると、私の大変さなんか何でもない、って」
高校受験を目前にしている弟に、家事や看護をやれとは言えない。妹は初潮を迎える前の小学6年生。母親を必要としている年齢だ。自分は長女なんだし、母との楽しい時間をふたりより多く過ごしている。だから、看護も母親代わりになるのも、当然のことと受け止めた。
「これからは、私がお母さんにならなければ、と自然に思えたんです。私自身まだ自立もできない年齢でしたので、ものは考えようだと思いました。もっと年齢が上で、就職していたら、介護のために仕事を辞めなければならなかったかもしれませんよね」
学校の行き帰りに病院に寄り、母の様子を見ながら、洗濯をし、病院の屋上で干す。帰宅すれば、すぐ家事にとりかかる。高校卒業後は予備校に通いながらこなした。
「発想を変えると、悪いことばかりじゃないと思えるようになるんです。母のリハビリは病院から家に帰ってきてからが本番でした。そのときできないことを数えるのではなく、できることを数えようって。右半身はマヒしていても、左手は使える。言葉は不自由でも笑顔は素敵、というふうに」
前向きな努力は何よりの治療薬だったのだろう、広美さんは車いすで動けるまでに回復し、町さんも一浪の後、大学に合格した。
「大学生になっても、授業が終われば走って帰っていました。だけど、義務や責任感でしていたわけではありません。早く家に帰って母と話したい、笑顔が見たい、その一心だった。それは弟や妹も同じで、ガールフレンド、ボーイフレンドができると、すぐに家に連れてきて母と一緒に食事をし、一緒にしゃべって、笑いが絶えませんでした(笑い)」
※女性セブン2013年6月27日号