参議院選挙の日程が7月4日(木)公示、7月21日(日)投開票と決まった。日程が確定する前から、ニュースでは選挙のゆくえを占うための言葉が増えてきている。そのなかでよく使われる「対立軸」という言葉の使い方に違和感を覚えるというジャーナリストの長谷川幸洋氏が、その違和感の理由について指摘する。
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参院選の前哨戦と位置付けられた東京都議会選挙が自民、公明両党の圧勝に終わった。各紙が社説で採り上げたが、私が違和感を覚えたのは「対立軸」という言葉の使い方だ。
たとえば、日本経済新聞は「都議選の低投票率が映す対立軸の不在」と見出しを掲げ「民主党や第三極は明確な対立軸を提示できなかった」と指摘した(6月24日付)。
朝日新聞も「野党は対立軸を鮮明に」と見出しにうたって「参院選に向け各野党は、説得力のある対立軸を示さねばならない」と唱えた。毎日新聞は「民主党の危機的な凋落」という見出しで「安倍内閣に向かう対立軸をきちんと示せるかどうか、参院選で野党側が負う責任は重大である」と主張している(いずれも同日付)。
これらは、どれも野党に対する注文である。だが、野党に求めるべきなのは対立軸の提示なのか。違うだろう、与党とは違う野党らしい政策だ。その政策を見比べてみて、どこが「与党との対立軸になるか」を判断するのはメディアの仕事である。
これは言葉の揚げ足取りではない。原理的な問題だ。各紙の書きっぷりは一読すると、もっともらしいが、実は本来、メディアが判断すべき問題を野党に丸投げしている、とも言える。
具体的に言おう。たとえば、共産党はアベノミクスは格差を拡大するだけだからダメで、原発は反対、環太平洋連携協定(TPP)にも反対である。私から見ると、対立軸はこれ以上ないほど、はっきりしている。「対立軸を示せ」と書く新聞は、こういう共産党のような政策なら「軸が明快だから評価する」というのだろうか。
政策というのは、マルかバツかで括れるような単純なものではない。「対立軸を示せ」という主張は分かりやすいが、実は政策の裏側にある考え方や国家観の違いを浮き彫りにする綿密な作業をさぼっている。
読売新聞は「参院選では、具体的な対案を示し、自民党との政策論争を深めてもらいたい」と書いた(同日付)。これはすっきり読める。
ただ、繰り返すが、政策論争を深めるのはメディアの責任である。国民は忙しいから各党、候補者の主張をみんなチェックできるわけではない。そこを読者に代わって、深く掘り下げるところに価値がある。
※週刊ポスト2013年7月12日号