スポーツライターの永谷脩氏が往年のプロ野球名選手のエピソードを紹介するこのコーナー。今回は、巨人と西武の2チームで優勝に大きく貢献した名リリーフ・鹿取義隆氏のエピソードだ。
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ソフトバンク・千賀滉大がパ・リーグの救援投手として「連続無失点イニング記録」を達成した。優勝の鍵を握るとして救援投手が再び注目を集める中、ふと思い出したのは、文句も言わず黙々と19年間、755試合を救援として投げ続けた男のことだ。巨人・西武で活躍した鹿取義隆である。
巨人時代は王貞治監督の下、年間63試合に登板。「ピッチャー・鹿取」は流行語にもなり、その健気さは“サラリーマンの鑑”と言われた。90年の西武移籍後は、潮崎哲也・杉山賢人とともに「サンフレッチェ」(三本の矢)としてリリーフ陣を支え、黄金時代に貢献している。
かつて、エースだった東尾修が鹿取に聞いたことがある。
「お前、文句も言わず投げ続けているけど、体のことも少しは考えた方がいいんじゃないか」
その時、鹿取はこう答えた。
「東尾さんはエースで、代わりはいませんから、わがままを言っていいんです。でも、僕らの代わりはいくらでもいます。だから、与えられた職場をただ必死に守るだけなんです」
その姿勢は契約更改でも出ていた。西武時代に活躍を評価され、球団に1億円を提示されるものの、「救援で1億円なんてもらってしまうと、残されているのは引退だけ。9000万円で本当に結構です」と固辞している。
当時は1億円の大台こそがプロ野球選手のステータスだったが、拒否したのは己を知っていたからだった。昔からプロ野球では、「超二流の集団は優勝の確率が高い」という名将・三原脩の言葉があるが、これは己を知っている男達の集まりという意味なのかもしれない。
※週刊ポスト2013年7月12日号