1982年にデビューした中森明菜。彼女のヒット曲に『ソリチュード』がある。「孤独」という名の曲には絶品が多い、と書いたのは評論家・平岡正明だった。
1964年生まれのノンフィクション作家・安田浩一氏が、週刊ポスト7月19・26日号で「孤独の研究 中森明菜とその時代」と題する新連載をスタートさせた。安田氏は同連載で以下のように綴る。
<私は明菜が好きだった。いや、いまでも好きだ。顔が好きで、声が好きで、不器用そうな笑顔が好きだ。両手で抱えた幸せを、地面に叩きつけて壊してしまうような理不尽さも好きだ。彼女には、80年代というスカスカの時代をともに過ごしてきたという、同世代者としての親近感もある。
私はこの連載で、アイドルとして生き続ける、そして漂流する明菜の足跡を追いかけたいと思っている。
アイドルとは、時代の業を背負った存在だ。歓喜と苦渋を血肉として、歴史に鮮やかな刻印を残していく。しかしいま、アイドルという存在から発せられるのは、あざといマーケティングの槌音だけだ。
その点、明菜は、まさに時代そのものだった。女性の自立と挑戦と破滅を、見事に演じきった。だから私が描こうとしているのは、「明菜という時代」である>
安田氏はまず、デビュー曲『スローモーション』の作曲家・来生たかおのもとを訪れ、当時の舞台裏に光を当てる。
中森明菜、は本名だ。所属事務所は別の芸名を考えていたが明菜本人が頑なに反対したという。安田氏はこう綴る。
<デビュー前から「主張する」ことに躊躇はなかった。そして、そのおかげで中森明菜はずっと中森明菜であり続けた。明菜という舞台を降りることが許されなかった。公も私も明菜でなければならなかったのである。
それを痛いくらいに自覚していたからこそ、明菜は自我を譲らず、不安定さを抱え込み、そして孤独の影を引きずった。
何もかもうまくいかず、世の中の終焉を祈るような少年だった私もまた、そんな明菜と共振した。少なくともそう思い込むことで、今日を、明日を、やり過ごした>