安倍政権が霞が関の幹部人事で民主党政権時代の布陣を刷新した。とりわけ外務省のトップ人事では「安倍カラー」が明確に打ち出されたとされるが、対米、対中、対露と難題が山積する中で新体制は成果をあげることができるのか。作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏が安倍人事の「功罪」を解説する。
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安倍晋三内閣は、6月28日の閣議で、斎木昭隆外務審議官(政務担当、60歳)が外務事務次官に、後任の外務審議官に杉山晋輔アジア大洋州局長(60歳)が就任する人事を決定した。河相周夫外務事務次官(60歳)は辞任し、当面、外務省顧問に就くことになった。
外務省顧問に実質的権限はない。外務省では不祥事でもない限り通常2年は次官職に就く。河相氏が次官に就いたのは去年9月11日なので、10か月弱で辞任を余儀なくされた。事実上の更迭と言ってもよい。
河相氏は、極めて政治的な人物だ。時の権力者に擦り寄ることによって自己の栄達を図っていると見られても仕方ない面がある。外務省には、出世のために「義理を欠き」「人情を欠き」、そのうえ「恥をかく」ようなことが平気でできる「サンカク官僚」がときどきいる。通常、このような「サンカク官僚」は、局長レベルで淘汰され、外務審議官や次官にはならないのだが、河相氏は“例外”だった。
鈴木宗男氏(新党大地代表)が権力の中枢にいるときは、徹底的に鈴木氏に擦り寄った。しかし宗男バッシングが起きると、その流れの中心になった。河相氏は自民党では中川昭一氏(元財務相、故人)との関係を重視し、政界人脈を拡大した。外務省内でも中川氏のことを日常的に「昭ちゃん」と呼んでいた。
政治家を「ちゃん」づけで呼ぶ外務官僚は珍しい。2010年1月、鳩山由紀夫内閣で河相氏は内閣官房副長官補に就任した。このポストは、通例では外務官僚として「終わり」のポストだ。官房副長官補をつとめた後は、大使に転出することが多い。
しかし、河相氏は野田佳彦政権のときに、当時の玄葉光一郎外相に接近。外務事務次官人事で最大の影響力を持つのが外相であることを念頭に置いた上での行動だ。ちなみに河相氏とコンビを組んで民主党政権に擦り寄ったのが杉山氏である。
野田政権当時、首相官邸と民主党幹部の中には「河相官房副長官補ではなく、能力が高く筋を通す斎木インド大使を次官にすべきだ」という意見もあったが、外務省内の一部勢力が「斎木は自民党系なので民主党政権の権力基盤の強化には資しません」とか「斎木は人望がありません。斎木が次官になると部下が潰されてしまいます」という情報操作を民主党政治家やマスメディアに対して行なった。河相次官が誕生したのはこのような「地道な努力」を積み重ねた結果だと筆者は見ている。
しかし、河相次官にとって想定外だったのは、自民党への政権再交代が起きたことだ。河相氏は、“そもそも自民党系である”ことを強くアピールしたようだが、そのような小細工は安倍晋三首相に通用しなかった。
特に今年1月、安倍首相の訪米日程を取り付けるために河相次官がワシントンを訪れたが、具体的な日程はもとより、首相訪米のおおまかな時期すら取り付けることができなかった。河相次官の能力不足によって、日米同盟が脆弱であるという印象が国際的に植え付けられてしまった。河相氏が外交実務から離れることによって日本の国益に与えるマイナスが極小化される。
※SAPIO2013年8月号