ライフ

『竜馬がゆく』登場の竜馬剣豪逸話は偽書に騙された架空話説

 時代劇を歴史の真実に近づける専門職、時代考証家といえど真実を見抜くのが難しいこともある。みずから歴史番組の構成と司会を務める編集者・ライターの安田清人氏が、坂本龍馬にまつわる剣豪エピソードを例に、先人たちが偽書に騙された例を解説する。

 * * *
 時代考証の「専門家」を初めて名乗ったのは稲垣史生(しせい)氏だと思われるが、歴史・時代小説にも時代考証的な関わり方をした先人たちがいた。森銑三(もり せんぞう 1895~1985)は、在野の歴史家、書誌学者として評価が高く、江戸学の祖などとも呼ばれる「知の巨人」だ。作家の永井荷風が、森をして「真の学者」と称したことからも、研究者としての偉大さが想像できよう。

 森自身が時代考証家を名乗ったことはないが、彼の残した膨大な著述は歴史・時代小説を書く作家の必読書で、とくに江戸時代の随筆など古典籍の紹介や人物伝は今もなお、江戸時代の人物を描く際に、さまざまなヒントを与えてくれる「知恵の泉」である。

 その森と、歴史・時代小説にまつわる興味深いエピソードを紹介したい。坂本龍馬といえば司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、龍馬を日本史上もっとも有名な人物の一人に押し上げたのは司馬に他ならない。

 その龍馬がまだ江戸の桶町千葉道場で剣術を学んでいる時分、各道場を代表する剣客が一堂に会して腕を競う剣術大会が開かれた。後に維新の元勲となった長州の木戸孝允がすさまじい腕前を披露し連戦連勝。土佐の武市半平太は、木戸に敗れれば師匠や道場の名誉を傷つけると立ち合いを躊躇した。そこに、郷里の後輩である龍馬が現れ、平然と木戸と立ち合い、激戦の末に大殊勲を挙げた。

 龍馬ファンなら周知のエピソードで、もちろん『竜馬がゆく』の「安政諸流試合」の章で、青年龍馬の「凄味」を象徴する場面として描かれている。しかしこの場面、実は『竜馬がゆく』が新聞に連載された昭和37年より20年近く前の昭和18年に、雑誌『伝記』に森が寄稿した「坂本龍馬」という文章に描かれているのだ。

 根拠となった史料は、龍馬の勝利を喜んだ武市が国元に送った手紙だという。このくだり、明治16年に新聞記者の坂崎紫瀾(しらん)が執筆した龍馬の代表的な伝記小説『汗血千里駒(かんけつせんりのこま)』をはじめとする数々の龍馬伝記には出てこないので、おそらく司馬は森の文章を参考にして、このエピソードを小説に盛り込んだのだろう。

 ところが、昭和54年刊の『坂本龍馬のすべて』のなかで、土佐藩研究で知られる歴史家の平尾道雄は、この試合の日時には龍馬も木戸も、そして武市さえも江戸にはいなかったことを検証し、武市が送ったとされた手紙は偽書であると結論付けた。つまり、森はまんまとこの偽書に騙され、司馬もまたその間違いに乗っかってしまったということになる。江戸学の祖も歴史小説の大家も、ときに間違いを犯すこともある。

■安田清人(やすだ・きよひと)/1968年、福島県生まれ。月刊誌『歴史読本』編集者を経て、現在は編集プロダクション三猿舎代表。共著に『名家老とダメ家老』『世界の宗教 知れば知るほど』『時代考証学ことはじめ』など。BS11『歴史のもしも』の番組構成&司会を務めるなど、歴史に関わる仕事ならなんでもこなす。

※週刊ポスト2013年7月19・26日号

関連キーワード

関連記事

トピックス

大谷翔平(時事通信)と妊娠中の真美子さん(大谷のInstagramより)
《妊娠中の真美子さんがスイートルーム室内で観戦》大谷翔平、特別な日に「奇跡のサヨナラHR」で感情爆発 妻のために用意していた「特別契約」の内容
NEWSポストセブン
事件は、琵琶湖からほど近い滋賀県長浜市の閑静な住宅街で起きた(時事通信フォト)
「死んじゃうんじゃないの、なんて冗談を…」裁判所事務官の“黄色い家”の冷凍庫から女性遺体 証言で浮かび上がった“奇妙な家族関係”《事件の端緒はある夫婦の遺書》
NEWSポストセブン
米国からエルサルバドルに送還されたベネズエラのギャング組織のメンバーら(AFP PHOTO / EL SALVADOR'S PRESIDENCY PRESS OFFICE)
“世界最恐の刑務所”に移送された“後ろ手拘束・丸刈り”の凶悪ギャング「刑務所を制圧しプールやナイトクラブを設営」した荒くれ者たち《エルサルバドル大統領の強権的な治安対策》
NEWSポストセブン
沖縄・旭琉會の挨拶を受けた司忍組長
《雨に濡れた司忍組長》極秘外交に臨む六代目山口組 沖縄・旭琉會との会談で見せていた笑顔 分裂抗争は“風雲急を告げる”事態に
NEWSポストセブン
会見中、涙を拭う尼僧の叡敦(えいちょう)氏
【天台宗僧侶の性加害告発】フジテレビと同じ構造の問題ながら解決へ前進しない理由とは 被害女性への聞き取りも第三者の検証もなく、加害住職の「僧籍剥奪せず」を判断
NEWSポストセブン
中居正広氏とフジテレビ社屋(時事通信フォト)
【被害女性Aさん フジ問題で独占告白】「理不尽な思いをしている方がたくさん…」彼女はいま何を思い、何を求めるのか
週刊ポスト
食道がんであることを公表した石橋貴明、元妻の鈴木保奈美は沈黙を貫いている(左/Instagramより)
《食道がん公表のとんねるず・石橋貴明(63)》社長と所属女優として沈黙貫く元妻の鈴木保奈美との距離感、長女との確執乗り越え…「初孫抱いて見せていた笑顔」
NEWSポストセブン
生活を“ふつう”に送りたいだけなのに(写真/イメージマート)
【パニックで頬を何度も殴り…】発達障害の女子高生に「生徒や教員の安心が確保できない」と自主退学を勧告、《合理的配慮》の限界とは
NEWSポストセブン
5人での再始動にファンからは歓喜の声が上がった
《RIP SLYMEが5人で再始動》“雪解け”匂わすツーショット写真と、ファンを熱狂させた“フライング投稿”「ボタンのかけ違いがあった事に気付かされました」
NEWSポストセブン
中居正広の私服姿(2020年)
《白髪姿の中居正広氏》性暴力認定の直前に訪問していた一級建築士事務所が請け負う「オフィスビル内装設計」の引退後
NEWSポストセブン
これまで以上にすぐ球場を出るようになったという大谷翔平(写真/AFLO)
大谷翔平、“パパになる準備”は抜かりなし 産休制度を活用し真美子夫人の出産に立ち会いへ セレブ産院の育児講習会でおむつ替えや沐浴を猛特訓か
女性セブン
ネズミ混入トラブルを受けて24時間営業を取りやめに
《ゴキブリ・ネズミ問題で休業中》「すき家」24時間営業取りやめ 現役クルーが証言していた「こんなに汚かったのか」驚きの声
NEWSポストセブン