『さらば雑司ヶ谷』や『民宿雪国』などの小説で知られる作家・樋口毅宏氏が書いた『タモリ論』(新潮新書)が話題だ。発売1週間で6万部を超えるベストセラーとなっている。
なぜ敢えてタモリについて論じようと思ったのか。樋口氏が語った。
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1971年生まれの僕より若い世代の多くは、タモリや『笑っていいとも!』について、「どこが面白いのかさっぱりわからない」といいます。
確かに、僕もかつて、「テレフォンショッキング」というコーナーの冒頭で、タモリがスタジオを観覧している客に何か尋ねると、客がそのたび声を揃えて「そうですね!」というやり取りを、いかにも馴れ合いで不毛な予定調和だとバカにしていました。
一方で、40代を過ぎた上の世代のタモリ好きは、イグアナの物真似や4か国語麻雀といったアングラ芸を挙げて、「『いいとも!』以前のタモリはすごかった」と口を揃えます。
僕は『いいとも!』のタモリを論ずることで、両者の橋渡しをしたいと考えました。
4年前、徳光和夫が『いいとも!』に出演した際、「タモリさんはいつから飄々となったんですか? タモリさんって割と、深夜向きのタレントさんで結構過激なことをやってらしたんですよ」というと、タモリが「いまでいうと江頭2:50がやるようなもん(笑い)」と答え、観客が驚きの声をあげる場面がありました。
深夜番組担当のアングラ芸人を自認していたタモリが、突然の抜擢によって毎日数百万人が視聴する生放送の司会を引き受け、それを30年以上も続けている。まともな人ならとっくにノイローゼになっていますよ。
でも、タモリは狂わない。それは一体なぜなのか。そして一つの答えに行きつきました。
タモリは、自分にも他人にも何一つ期待していないのです。タモリは、すべてに「絶望」している。その絶望を引き受けながら『いいとも!』の司会をし続ける彼の狂気を、みなさんに知ってほしかった。
※週刊ポスト2013年8月9日号