日本の夏の風物詩のひとつに甲子園での高校野球がある。世界に類を見ない国民的スポーツイベントはさまざまな歴史を作ってきた。列島を熱中させた名勝負のひとつに、1996年第78回大会決勝(8月21日)がある。
愛媛の松山商業と熊本工業、古豪同士の決勝戦。延長10回裏、一死満塁の場面で松山商の澤田勝彦監督が起用した右翼手の返球がサヨナラ負けの危機を救った。「奇跡のバックホーム」として語り継がれている。
1回表、3安打3四球で松山商がいきなり3点を奪った。熊本工も2回裏に相手エラーとタイムリーで1点、さらに8回裏に1点を返す。
3対2の1点差で迎えた9回裏も二者連続三振で2アウト。あと一人で松山商は27年ぶりの優勝だった。その初球、沢村幸明の一振りはレフトポール際へ飛び込んだ。試合は振り出しに戻ったが、流れは完全に熊本工だった。
10回裏、熊本工の先頭打者が二塁打を放った。5万人の観衆の多くがサヨナラを予感した。次の打者は定石通り送りバントを決める。ここで松山商ベンチが動いた。澤田は二者連続敬遠の満塁策を指示した。そして、ライトの守備固めに矢野勝嗣を送ったのだ。
矢野の背番号は9だが、松山商のライトのポジションはピッチャーのひとりが入ることが多く、甲子園や県大会で矢野の出番は少なかった。しかし、矢野は守備力と強肩に定評があった。
「次は左打者。ライトに飛ぶ確率は高かった。過酷な練習に耐えてきた矢野への信頼がありました」(澤田)
代わったところにボールが飛ぶ野球の定説通り、打者が叩いた初球はライトへの大飛球となった。 「ライトにフライが上がった時は、ああ終わったと思いましたね」(同)
ホームランかと思われた大飛球だったが、甲子園球場名物の浜風が押し戻した。慌てて前進して捕球した矢野は、ホームベースに向けて渾身の力で返球。暴投か、と思われた高い弾道の遠投は浜風に乗ってノーバウンドで捕手のミットに収まる。そこに突っ込む三塁走者。球審の手は大きく上がり「アウト」をコールした。矢野のスーパープレーが絶体絶命の窮地を救った。
11回表、その矢野は先頭打者で二塁打。送りバント、スクイズを絡め、一挙に3点を奪って勝負を決めた。
奇跡のバックホームでピンチを救った矢野は松山大学に進学し、野球部キャプテンとして神宮大会に出場した。卒業後は地元の愛媛朝日テレビに就職。現在は東京支社に勤務している。
※SAPIO2013年9月号