現在、日本最高峰のプロ野球の舞台で指揮を執る12球団の監督も、かつては甲子園を目指して、汗を流した。
12人の監督の中では地味な印象が否めない東京ヤクルトの小川淳司監督だが、高校時代は最も優れた成績を挙げている。千葉・習志野のエースとして出場した1975年夏の甲子園では、3回戦から3試合連続完封で決勝へ進出。5-4で新居浜商を破って、優勝旗を手にした。
連投に次ぐ連投で肩はボロボロだったが、小川の頭には「前年の銚子商に続いて、どうしても千葉の連覇を達成したい」との思いがあり、後先考えずに投げたという。その結果栄光を手にしたが、代償は大きく、大学進学後は野手にコンバートされた。
その経験からか、「選手の故障に対しての気配りは12球団ピカイチ」(スポーツ紙記者)といわれる。
※週刊ポスト2013年8月30日号