アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、2020年夏季五輪の開催地が東京に決定した。しかし、そこに猪瀬直樹東京都知事(66才)の妻・ゆり子さん(享年65)の姿はなかった。
ゆり子さんは今年1月のロンドン、4月のニューヨーク出張にも同行。しかし5月26日、ロシア・サンクトペテルブルクへの出張を翌日に控えて、ゆり子さんの体調が急変。医師に悪性脳腫瘍と宣告され、そのわずか2か月後に亡くなってしまうのだ。
5月26日。そのまま入院となったゆり子さんを残し、猪瀬氏はふたりで行くはずだったサンクトペテルブルクへ、ほとんど誰にも事情を伝えず旅立った。
ゆり子さんは氏の帰国後、6月5日にいったん退院した。本人は余命や病状について、何も知らないままで、手術までの3日間は家で普通に過ごすこともできた。
「家では死んだ犬の小屋を片付けたりしていました。もともと、『君は村の鍛冶屋だね』ってからかうくらい、彼女は働き者で、いつも動いていましたから」(猪瀬氏)
再入院の後、6月12日に行った6時間に及ぶ手術は無事成功した。余命数か月のうちには五輪招致の結果も出る。あとは、残された日々をどうやって過ごすべきかと猪瀬氏は考えていた。
ところが手術の数日後、突然脳出血を起こし、ゆり子さんは意識不明となる。にもかかわらず、氏はスイス・ローザンヌで開かれた五輪招致のプレゼンテーションに向かわねばならなかった。
「なんとか、ぼくが帰るまでもってほしい」
ただただ、そう祈り続けた。一方で、周囲に気取られることなく、各国のIOC委員やメディアを前にした最も山場となるスピーチでは、笑いすら誘うことに成功する。そして、猪瀬氏の帰国を待つかのように、7月21日にゆり子さんは亡くなった。
「まいったな、そのひと言に尽きますよ。だって一日でもぼくよりは長生きしてくれると、信じて疑わなかったですからね」
絞り出すような声で、猪瀬氏はそう言った。
「彼女はね、神様がぼくに贈ってくれた天使だと思っているんです。感謝しかありません」(猪瀬氏)
昨年2月の東京マラソンで、猪瀬氏は65才にして初めてフルマラソンに挑戦、完走した。氏は完走できた秘密は、28km地点にゆり子さんが立って、笑顔で手を振ってくれたからと語る。
「10kmまでは何度も走ったことがあった。そこで、残りそのくらいの地点で応援をもらえば、あとはなんとか走り切れるだろうと思ったんだ」(猪瀬氏)
その読みはずばり当たった。思えば、大学時代から、上京して作家活動を始めた頃、そして都知事選、五輪招致活動と、要所、要所でゆり子さんの笑顔が常にあった。
できれば、五輪開催決定の瞬間を一緒に迎えたかった。もう二度とあの白い手と輝く笑顔を見ることはかなわない。でも、同志としてフルマラソン以上の道のりを歩いてきた足跡までは、決して消えない。
※女性セブン2013年9月26日号