反日ナショナリズムの実態をはじめ韓国社会の問題点を的確に批判してきた韓国出身の評論家・呉善花氏が母国への入国を拒否された。日本国籍を取得している同氏は親類の結婚式のために韓国へ渡ろうとしたところ、仁川空港で日本へと追い返されたのだ。呉氏がその体験を語った。
* * *
韓国出身の私は日本国籍を取得し、日本のパスポートを所持している。入国管理局の別室に入れられてからは特に質問されるわけでもなく、ただ待たされるばかり。時間が経つにつれて、過去の嫌な記憶がよみがえってきた。
2007年のこと。母が亡くなり、葬儀のために韓国を訪れたところ、済州空港で入国拒否されたことがあった。その時は現地の日本領事館に連絡して申し入れしてもらい、なんとか入国が認められた。それでも「葬儀以外の一切のことはしない」という誓約書を書かされた。母を静かに見送ろうと思っていただけなのに、そのような仕打ちを受け、とても屈辱的な体験だった。
恐ろしいのは、今回の入国拒否について「当然のことだ」とする韓国世論の反応だ。
言論人に対し、その主張が気に入らないという理由で国家権力が行使されたのだから、普通の国であればジャーナリストや言論人が「表現の自由を守れ」と問題視するのが当たり前。民主主義国家はもちろん、たとえ軍事独裁国家であっても気骨のあるジャーナリストが権力に立ち向かって表現の自由を勝ち取ろうとするものだ。
それなのに、韓国ではそうした議論が喚起される気配はない。それどころか新聞は私の著作のほんの一部分だけを抜き取って、「呉善花はこんなに酷いことを主張する売国奴だ」と書き、それがインターネットなどにコピーされて拡散していく。
これまでにも韓国のテレビ番組が、日本で私が嘘をついているかのように見せる恣意的な編集で番組を作ったことがあったし、先ほど述べた母の葬儀の時の騒動では「韓国政府の温情で入国させてやった」という論調で新聞に書かれた。
今回は、「呉善花は入国禁止リストに入っていると知っていながら、意図的に入国拒否を受けて騒動を起こし、それによって売名行為をしたのではないか」とまで言われているそうだ。もはや怒りを通り越して呆れてしまう。
そういった攻撃を受けたのは私だけではない。例えば、「日本統治時代のインフラ整備が韓国を経済的に発展させた」といった正しい歴史を明らかにしようとする人物に対して韓国社会は容赦しない。バッシングによって社会的に封殺してしまうのだ。
私には文庫や共著も合わせて70冊ほどの著書があるが、韓国の新聞やインターネット上には日本語の著作から切り抜かれたほんの一部だけが掲載され、ほとんどの韓国人はそれが呉善花の考えのすべてだと思っている。
一度だけ、高麗大学の大学院生が私の主張について「(韓国の)本や新聞に書かれていない内容で大変興味深く、感銘を受けた」とメールをくれたことがあったが、そうした反応はゼロに等しい。メールをくれた学生にしても、日本語を勉強しなければ私の本を読むことはできない。
韓国では、自分たちに都合の悪い主張はそうやって消し去られる。そんな考え方は今日の国際社会には通用しない。韓国という国家に未来はあるのだろうか。
※SAPIO2013年10月号