とうとう終わってしまった、そんな溜息がそこかしこから漏れてきそうだ。近年稀に見るヒットとなった朝ドラ、その視聴者たちの心の動きについて、作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が指摘する。
* * *
いよいよNHKの朝の顔、「あまちゃん」が最終回を迎えました。録画して1日に2度、3度と繰り返し鑑賞してきた方もいらっしゃるそう。「あまちゃん」にどっぷりと依存してきた方々にとっては、ドラマ終了日は恐怖の日。精神的支柱を失う「あまロス」状態へ。その喪失感におびえているとか。
もはや、ひとつの社会現象と言っていいのかもしれません。放送時間帯が、「心理的なレジャー」となっている。「半沢直樹」に続いて「あまちゃん」と、連続ドラマが人々の心理的平静を維持する「安全装置」と化している。
低調だ、低調だと、長年嘆き続けられてきたテレビドラマ。それがこの大人気ぶり。日本人を救う精神安定剤のような役割まで担っているとすれば。世の中、変わるものです。
クドカンは天才で、「あまちゃん」はすべてのヒット要素を備え、関連グッズは飛ぶように売れ…という祭り状態の中。日本人は空気を読むことがとても上手で一つの色に染まりたがる。だから、職場で一言、「つまらない」と口走ったりすると総スカン、仲間はずれとなるリスクも。「みんな同じことを感じねばならぬ」という暗黙のグループ・プレッシャーにヘキエキとしてきたサイレント・アンチの一群は、「明日からやっと羽をのばせる」と喜々としているのでしょう。
賞賛はこれまで山ほど耳にしてきたので、この機会に「あまフリー」を喜ぶ人々の言い分を傾聴してみると……。
「主人公に共感できなかった。半年間、成長がみられない。幼児性が強くて自分の主張ばかり押しつけている」
「地元に帰ろう、と歌うわりに、アキが故郷をまったく愛していないのにはがっかりです。生まれ故郷である東京が、ものすごくおざなりに描かれていて腹が立った。大都会でも東京ならではの良さや文化があるはず。クドカンは東京をよく知らずに、ただ東北はよい場所、東京はよくない場所と二項対立的に描いただけでは」
「どの登場人物もアイドル万歳、アイドル肯定ばかり。このドラマ、ちょっとでも違う考えの人がいないのでしょうか。スナックの人たちが内輪で盛り上がってばかりで外側とか他者性というものが感じられない」
「わーわー常にうるさい。毎回、毎回、事件がおこらなくていい。その方が満足できる大人もいるのだ」
「笑わせようと意識しすぎ。小ネタで常に何かを狙って面白いだろ感をアピールし過ぎ」
「3.11の被害を描きながら、まったく原発問題に触れないのはむしろ不自然」
当然ですが、賛辞が全てではなく様々な反響が。NHKで半年間放映される公共性高い朝ドラゆえの宿命でしょう。
アンチ意見の中には共感する部分もありますが、個人的には薬師丸ひろ子の歌と演技に、素直に感動しました。彼女の魅力の再発見こそが最大の収穫だったと思います。
クドカン自身は続編について乗り気ではない、と報道されていますが、もしNHKが続きをと考えるのであれば、アンチ意見にも耳を傾けて積極的に取り込んでいく努力も必要となるのでしょう。本当の国民的ドラマはそこから出発するのかもしれません。