大メディアは政府や役所の政策をチェックする役割を放棄し、消費増税問題では財務省の応援団と化して、「増税礼賛」の大本営発表に終始した。ジャーナリスト・長谷川幸洋氏が指摘する。
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普通、記者は入社するとまず地方の支局に配属される。そこで最初に割り当てられる典型的な仕事がサツ回り、つまり警察の取材である。新人記者は上司から次のように叩き込まれる。
「君の仕事は事件の真相を調べることではない。警察が何を調べているかを取材することだ」。そして「○○署によると~」というように、警察の調べを根拠にして記事を書く作法を覚えていく。
財務省を担当するようになっても構図はまったく同じである。記者は財務省の政策の是非を論ずるのではなく、官僚が何を考えているかをいち早く突き止めて記事を書くのが仕事になる。「財務省によると~」となるのである。
そうした記者が出世して論説委員になる。だが、社説を書くようになっても、彼らは新人記者時代のマインドセットから抜けきれない。日銀が「金融緩和は十分している」と言えば、その通り社説を書き、財務省が「財政再建のために増税が必要」と言えば、その枠組みの中で論を立てる。新聞が役所の主張を丸呑みしてしまうのは、「役所が言う話を書く」という体質が新人時代から記者に染みついているからだ。
財務省は毎年、年末の予算編成が終わった後、記者クラブに加盟しているマスコミ各社の論説委員と経済部長を集めて、大会議室で「論説委員経済部長懇談会」(論説懇)を開く。事務次官、主計局長ら財務省幹部がずらりと顔をそろえる。だが、懇談会とはいいながら実質的に意見を交わすことはない。財務省側が増税方針などを説明し、自分たちに都合のいい記事を書いてもらうよう、論説委員や経済部長に働きかける場なのである。
真正面から社説で「増税反対」の論陣を張っていた私は、数年前から論説懇にお呼びがかからなくなった。広報課長に「私が呼ばれないのは増税に反対しているからか」と聞いたが、「単なる事務的ミスです」という返事だった。しかし、その後も声がかからない。財務省に楯突く論説委員はお呼びでないのである。
霞が関の官僚はどうすれば記者を取り込むことができるか、熟知している。たとえば目をつけた記者に「まだ公表していない資料だけど、君にだけあげよう」と、政策ペーパーを手渡す。もらった記者は「特ダネだ」と大喜びするが、これは記者を手なずけるためのエサなのだ。記者は役所の意に沿う記事を書けば書くほどエサをもらえるようになる。やがて周囲から「特ダネ記者」「敏腕記者」などと褒めそやされる。そうやって「役所のポチ」となった記者は、思考停止したままデスク、部長に出世していくのだ。論説委員は「クラブ記者」の上がりポストでもある。
大新聞の社説が「増税賛成」でまとまり、まるで財務省の大本営発表のようになった背景にはそうしたマスコミ業界と役所をめぐる構造的な事情があるのだ。
※SAPIO2013年12月号