11月26日、東京・銀座の博品館劇場で桜田淳子(55才)が、デビュー40周年記念イベントのステージに立った。2時間のコンサートは大盛況に終わったが、こうして桜田が表舞台に登場するのは、実に20年ぶりのことだった。
1992年に統一教会の合同結婚式に参加。翌年の映画『お引越し』の舞台挨拶以降、芸能活動を休止していた桜田だが、その家族は統一教会との関わりについて猛反対していた。というのも、1972年、桜田の姉がまだ20才のときに統一教会に入信し、失踪していたのだ。
この時、両親は秋田市内でビラを撒くなど血眼になって捜し、合同結婚式に向かう直前、戸籍を取りに役所に来た姉を確保したのだった。両親は、姉を秋田市内の病院に入院させた。
その後、姉は統一教会のことを口にしなくなり、桜田の付き人となったが、両親にとってはこれが大きな間違いだった。姉は、統一教会から離れたフリをしていただけで、実際は熱心な信者のままだった。
「そうして淳子さんの付き人をするなかで、今度は妹に統一教会を勧めることになりました」(桜田の知人)
結果、桜田も入信してしまう。このことに最も心を痛めたのが、桜田の父親(享年66)だった。
「お父さんは、お姉さんの失踪劇の後、『全国原理運動被害者父母の会』の秋田支部の会長を務めるなど、“反統一教会”の先頭に立っていた人だったんです。それだけに、“まさか妹の淳子まで…”といって、その苦しみは計り知れないほど深いものでした」(前出・桜田の知人)
1989年に父が他界すると、“反統一教会”の父親の遺志を継いだのが、桜田の兄だったが、桜田の関係は徐々に修復に向かう。10年ほど前に再会すると、兄は月1回のペースで自分が作った野菜を桜田に送るようになったという。そんななか、母の体調が急激に悪化し始める。80才を超える高齢で、認知症の症状も出ているという。
「兄妹の関係がこじれたままで、母を逝かせてしまっていいのかって…。お兄さんは悩んだ末に、この9月、改めて桜田さんを呼んだんです。一方の桜田さんもまた、家族に復帰ライブの報告がしたかったんです。これまで芸能活動を誰よりも応援してくれたのは、他ならぬ家族でしたから…」(前出・桜田の知人)
そうして9月下旬、桜田は10年ぶりに帰郷することになった。この時、彼女は4日間ほど実家に寝泊まりし、兄と一緒に母親を看病したという。
「昼間はお兄さんの車に乗って、毎日仲良く買い物に出かけていましたね。お兄さんも、“淳子が帰ってきてさ”って、嬉しそうでした」(近隣住民)
ほんのひと時とはいえ、家族に昔のような幸せが訪れた時間だった。
「お母さんもお兄さんも、今は淳子さんと普通に会える仲です。それでも、“脱会だけはしてほしい”と、ふたりは口を揃えるんです…」(前出・桜田の知人)
※女性セブン2013年12月19日号