慰安婦問題、竹島不法占拠、パクリ産業……韓国がついてきた「嘘」で日韓関係は悪化の一途を辿っている。国際情報誌『SAPIO』ではその嘘について特集を組んでいる。特集のなかで歴史問題について書かれた記事の一部を紹介する。韓国は「日本の統治によって近代化が遅れた」と学校で教えているが、日本統治時代の真実をジャーナリストの水間政憲氏が明らかにする。鉄橋や鉄道は誰が造ったのか、といったあたりを見ていこう。
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中国の属国だった朝鮮を独立国と認めさせたのは、日清戦争に日本が勝利して締結した「下関条約(日清講和条約)」(1895年4月)だった。1892年に発行された『朝鮮国真景』は、朝鮮の調査のために派遣された外務省交際官試補(外交官の見習い)の林武一が各地で撮影した写真をまとめたものだ。その解説文に「朝鮮には馬車人力車の便なきは甚だ遺憾なり」とあり、人の移動手段は駕籠か馬だけだった。
それから僅か8年後の1900年に、京城(ソウル)と仁川を繋ぐ「漢江大鉄橋」が架橋された。また、韓国併合(1910年8月)以前の統監府時代に着工し、1911年に竣工した鴨緑江鉄橋(全長944.2m、幅11m)は、船舶の航行を可能にするため中央部が90度回転する旋回式鉄橋で、当時の先端技術を結集したハイテク鉄橋だった。
1894年8月1日、日清戦争勃発直後、日本側に靡いた朝鮮は、すぐさま8月20日に「日韓暫定合同条款」を締結し、日本に「鉄道敷設権」を認めた。20世紀前半の基幹産業は鉄道事業と製鉄事業だったから、日本は朝鮮の近代化のために網の目のように線路を敷設した。朝鮮もそれを熱望したのだ。その際、日本国内の「狭軌」と違い「広軌」を採用したことで、日本国内より立派な機関車や客車が走っていた。
朝鮮総督府鉄道局と私鉄を合わせると、1945年までに総延長距離5000km以上の鉄道を敷設した。象徴的な存在として造られた京城駅は東京駅に引けを取らない豪奢な佇まいだった。
韓国では「日本がロシアに対抗する安全保障上の理由から造っただけ」などと批判する声があるが、乗客の80%以上は朝鮮人だった。
地下鉄も計画された。東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)の浅草~渋谷間が「全線開通」した1939年にその計画が報じられている。
【京城に地下鐡 淸凉里驛より東大門まで】(1939年6月1日付「大阪朝日新聞」南鮮版)
実際にソウルに地下鉄が開通するのは1974年のことだが、それも日本のODAと技術供与によって実現した。
※SAPIO2013年12月号