1日4時間、これぐらいならできるかな。
そんな動機から、上野駅で駅弁を売って、パートデビューをしたのは44才のとき。その後、「カリスマ駅弁販売員」として頭角を現し、60才の今は、7人の社員と80人のパート・アルバイトを束ね、6店舗を切り盛りしている。それが三浦由紀江さんだ。
現在の肩書は、JR東日本グループの日本レストランエンタプライズ弁当営業部・上野営業次長。
三浦さんは、44才になるまで働いた経験はほとんどなかった。21才で学生結婚をして大学を中退。3人の子育ての傍ら、週に5回はおしゃれをしてママ友とランチを楽しむ。14年前の三浦さんは、そんな充実した専業主婦ライフを謳歌していた。
その生活を一変させたのは、長女のひと言。大学生になった娘は、自分の将来を考えるようになったなかで、昼の時間を悠々自適に過ごしている母の姿に、疑問を持ったようなのだ。
「ねぇ、お母さん。そんなに毎日遊んでないで、1日3時間でもいいから、働いてみたらどう?」
娘は翌日、無料のアルバイト雑誌を持ち帰ってきた。三浦さんはページを繰り、家の近くで働ける仕事を選んだ。それが、駅弁の販売だった。
「夫には『お前は接客に向かない』なんて言われたんですけど、でも、やってみたら意外とできたんです(笑い)」(三浦さん)
仕事は10時から14時まで、1日4時間。時給は800円。それまで仕事経験がなかった主婦は、驚異的な成績を上げた。なんと1年目で、その店舗の売り上げを、2億4000万円から2億7000万円に、3000万円も伸ばしたのだ。10%を超える驚きの伸び率。いったい、何をしたのだろうか。
「社会人としての常識がなかったのが、逆によかったのかも」
と三浦さんは振り返る。見るものすべてが新鮮だった。
「私たちパートを管理する正社員に対して、つい、余計なことを言っちゃっていたんです。例えば、お弁当Aとお弁当Bがあって、明らかにAのほうが売れてるのに、仕入れ量は同じだったりする。私は『どうしてAをもっと仕入れないの?』って普通に言っちゃうんです」(三浦さん)
一見、当たり前の疑問だが、社会人経験が長い人にとっては、その手の疑問は「自分の仕事を増やすだけ」と、口にしないことが常識になっている。
「でも私にはそういう常識がなかったから言っちゃった。そういうのを立て続けに言いまくったんですよね」(三浦さん)
パート仲間の中には、一生懸命であろうがなかろうが時給は同じなのだから、頑張るだけ損と話す人もいたが、三浦さんは耳を貸さなかった。
その成果の第1弾が、プラス3000万円の売り上げと、賞金10万円の社長賞。店長に抜擢されたのは、働き始めて2年半後だった。さらにその後、上野駅から大宮駅の弁当営業部所長に昇進。1年間で駅弁の売り上げを5000万円もアップさせた。
現在は古巣上野駅に戻り、次長として活躍する毎日だ。
同社では、普通は次長職ともなると、事務所にこもってのデスクワークが主だが、三浦さんは今でも現場に出る。
「週に2~3日、数時間はお弁当を売っています。そこでパートさんを指導したり、声を聞いたり。これをやらないと落ち着かないんですよね」
※女性セブン2013年12月26日・2014年1月1日号