公職選挙法違反にまつわる医療法人・徳洲会事件で、いよいよ創業者たる徳田虎雄氏への捜査も本格化しそうな局面だが、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を罹患している徳田氏は眼球以外の器官を動かすことができない。東京地検特捜部はいかにして徳田氏から「聞き取り」を行なうのか──。
『トラオ 不随の病院王 徳田虎雄』(小学館文庫)の執筆の過程で、徳田氏本人へのインタビューを果たしたジャーナリスト・青木理氏が約2年前の「究極の問答劇」を振り返る。
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神奈川県鎌倉市にそびえ立つ地上15階建ての巨大総合病院。2010年に竣工した真新しい病舎の最上階に広々とした特別室がしつらえられ、その室内には幾人もの人たちがいた。白衣に身を包んだ看護師の男女も、スーツ姿の秘書たちも、そして取材者の私も。
しかし、誰一人として声を発せず、室内は奇妙な静寂に包まれていた。だから、かすかな物音もはっきりと耳に届いてくる。一つは、ブーンという空調の音。もう一つ聞こえるのは、人工呼吸器の駆動音。
シューッ、プシューッ、シューッ、プシューッ……。ひそやかな音を奏でながら、人工呼吸器は規則正しく駆動を続ける。窓の外を眺めれば、遥か彼方にキラキラと輝く海原が望み見える。だが、特別室内にいる誰一人として、その美しい風景に心を奪われる者はいない。
介護役の看護師たちも、スーツ姿の秘書も、そして取材者である私も、空調と人工呼吸器が奏でるわずかな音だけを耳朶の隅に感じながら、ひたすら一点を凝視する。黒い車椅子に身を委ねた徳田虎雄の、眼窩の中の眼球を――。
男の眼前には、透明なプラスティック製の文字盤が掲げられていた。大きさは横50センチ、縦30センチほどだろうか。ひらがなの50音と、0から9までの数字、それに「YES」「NO」といった文字群が記されたプラスティック製の文字盤を掲げ持つ秘書が、盛んに動く男の眼が指し示す文字を盤の裏側から中指で追う。言葉を失ってしまった男の意思を、そうやって受け止めるのである。
秘書の傍らでは、指された文字を別の看護師がひとつずつメモ用紙に書き取っていく。男の眼は、プラスティック盤上の、次のような文字を追った。
〈ぜんしんの きんにくは よわつてしまつても あたまは せいじようで さえ わたつている げんきだつた ときより むしろ ぶんかてき せいかつ かも〉
ようやく男の眼の動きが止まると、看護師からメモを手渡された秘書がおもむろにこちらへと向き直り、男の“お言葉”を恭しい口調で“再生”した。