日本のクオリティペーパーを自任する朝日新聞の紙面の質が年々劣化している。同紙OBで社会部、「週刊朝日」編集長、編集委員などを歴任した川村二郎氏は以下のように指摘する。
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最近の朝日新聞を読むと、おかしな日本語によく出くわす。たとえば、特定秘密保護法案を巡って〈与野党、修正案で隔たり〉という記事(2013年11月15日付)。
〈渡辺喜美代表は「『内閣の関与強化』がのめないのなら、協議がととのわない可能性がある」と牽制する〉(傍点筆者)
「牽制する」というのは記者の感想、解釈だ。渡辺代表は「そうは言ったけれど、牽制する気はなかった」と言うかもしれない。事実と記者の感想、解釈を混ぜてはいけない。その人が言ったことを事実として書いた上で、それを記者が牽制だと思うなら、そう思う理由を、筋道を立てて説明しなければならない。最近、この手の記事が多いが、社長、役員はおかしいと思わないのだろうか。
さらに問題なのは「~としている」という表現だ。たとえば「○○氏の事務所は『事件の推移を見守り、返金もする』としている」とか、「今回の提訴について、○社は『訴状が届いていないので、コメントできない』としている」といった記事が毎日のように載っている。そんな日本語はない。これでは何語にも訳せない。なぜ「言った」とか「話した」と書かないのか。
朝日新聞の新人研修では「話した」「言った」と書くと後で問題になることがあるから「~としている」と書くように指導していると聞いた。抗議が来たときに備え、逃げ道を用意して書くのは卑怯ではないか。
新聞記者の文章が上達するか否かは、言葉に敏感なデスクにつかえるかどうかで決まる。私の場合、幸運にも行く先々にそういう先輩がいた。文章に厳しく、「面白くない」と何度も記事を突き返され、7回も8回も書き直しをさせられた。
昔は社会部に限らず、どこの部でも「広辞苑」など字引が机やソファーの上にあった。記者はしょっちゅう字引を引いていたから不的確な日本語はまず使わなかった。今は「広辞苑」も見かけない。字引を引く習慣のある記者もほとんどいないようだ。だから不的確な日本語で平気で記事を書くのだろう。
朝日新聞に限らず、どこの新聞社も似たり寄ったりらしい。出版社にもそういう傾向が出てきた。昔のような活字好きが少なくなっているようである。残念でならない。
※SAPIO2014年1月号