元日の朝5時半から宮中祭祀が始まり祝賀の行事が続く天皇。元日だけで、天皇が祝賀の儀でお祝いを受ける人数は計686人にも上る(平成25年)。国民の祝日である正月は、天皇にとってもっとも激務の時なのだ。
忙しい元日を終えると、翌2日には、テレビなどでも報道される一般参賀が行なわれる。平成26年の正月も、5回も天皇ご一家がお出ましになるという。
一般参賀の始まりは、昭和天皇の時代に遡る。国民が皇居に入れるようになったのは、終戦の年に始まった「皇居勤労奉仕」がきっかけだった。GHQの占領が始まった際、草が生い茂った皇居の草刈りをさせてくれと国民が申し入れし、喜んだ昭和天皇と皇后が奉仕団の前に姿を見せた。
これを見た宮内府(現・宮内庁)は昭和23年の元日より、一般国民の参賀を受け付けると決定した。
このときは参賀者が皇居内で記帳して退出するだけだったが、侍従から国民が参賀で皇居に来ているとお聞きになった昭和天皇は、「せっかく来ているのだから、その様子を見たい」と、見通しがきく第二期庁舎の屋上に上り、参賀者の姿をご覧になったという。
その日の参賀者は7万人、翌2日は14万人と推定されるが、寒風吹きすさぶ屋上から見守る昭和天皇に気づいた人は一人もいなかった。陛下の姿に参賀者が初めて気づいたのは、その年の4月29日、天皇誕生日の国民参賀だったという。
その後、陛下から「もっと近くで国民に接したい」というご要望が出て、昭和26年から宮内庁の中央玄関バルコニーにお立ちになることになった。昭和28年には、1月2日が一般参賀の日と正式に定められ、昭和44年に完成した新宮殿の長和殿は、初めから一般参賀に対応した設計となった。
天皇は参賀者におことばを述べる。「新しい年をともに祝うことを嬉しく思います。年頭に当たり、国民の幸せと世界の平安を祈ります」というのが標準的だが、雨が降っていると、「あいにくの雨になりましたが、寒さのなか十分に体に気をつけられますよう願っております」と付け加えるなどの工夫をなさっている。
※週刊ポスト2014年1月1・10日号