18日と19日にセンター試験が行われ、およそ56万人の受験生が試験に臨んだ。目指す大学に入るために予備校に通う者も少なくないが、そうした傾向が全盛を迎えたのが1980年代。同時期に駿台、河合、代々木ゼミナールの3大予備校が、全国展開を始めた。これにより「偏差値」が一気に普及する。
「受験生がマークシートで自己採点したデータを、全国展開する予備校が分析。合格した大学の結果と照らし合わせることで、レベルの参考指標となる偏差値が浸透した。高校の進路指導でも『この点数じゃ無理』といった1点刻みの偏差値で、大学の序列化が加速することになります」(『蛍雪時代』(旺文社)の元・編集長代田恭之氏)
予備校熱は凄まじく、受験生の間では「生徒の駿台、講師の代ゼミ、机の河合」といわれたり、派手な出で立ちで講義をする“金ピカ先生”こと、佐藤忠志氏のような名物講師が盛んにマスコミに登場した。当時、浪人生で予備校に通っていたAさんが懐かしむ。
「入試問題をズバリ的中させた人気講師となると、早朝から教室の前に並ばないと席の確保ができなかった。給料も凄かったのか、ベンツやポルシェで出勤する講師も珍しくなかった」
1989年まで続いた共通一次は、バブル経済に向けた好景気に沸く時代と重なる。志望校を貫いて予備校に通い、受験も第1から第3志望まで5~6校受験が当たり前だった。入試の検定料は1校2万~3万円だから、受験するだけで20万円も費やしていた計算だ。
しかし、「偏差値偏重」を解消すべきとの声が、高校の教育現場を中心に強まると、またもや受験制度は変革の季節を迎えることとなった。
※週刊ポスト2014年1月24日号