今、将棋界は「三つ巴の戦い」といわれる。棋界の頂点に立つ森内俊之竜王・名人を筆頭に、その同期の羽生善治三冠(王位、王座、棋聖)、そして一世代下の渡辺明二冠(棋王・王将)で7つのタイトルを分け合う状況だ。
20歳前後で初タイトルを獲得している羽生三冠や渡辺二冠と違い、森内竜王・名人が初めてタイトルを得たのは31歳のとき。「大器晩成」型のように思えるが、その飛躍のきっかけは何だったのか。新刊『覆す力』(小学館新書)を上梓したばかりの森内竜王・名人が解説する。
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25歳のとき、名人戦で羽生さんに挑戦しました。羽生さんが七冠王だった時期で、1勝4敗で負けました。この七番勝負のときは、どこから攻めても守っても、最後にはやられるという感じでした。羽生さんの手のひらの上で転がされているような感覚です。
名人戦は七番勝負。4つ勝たなければいけないわけです。羽生さんとやって1つは勝てても4つ勝てる気は全くしなかった。それからしばらくは、トーナメント戦で挑戦者の座が近づいてくると「また羽生さんと戦わなくてはいけないのか」と考えてしまい、結果としてタイトル戦から遠ざかってしまったこともありました。
そんな状況が変わったのはいくつか理由があります。私から見ると、絶対的な強さに思えた羽生さんから若手棋士がタイトルを取り、自分にもやれるのではないかと思えたことも大きかった。
もちろん地道な将棋の研究も大事で、自分の将棋も見直しました。私は序盤に時間も体力も使い過ぎていたので、これを改め、後半に時間と体力を温存するようにしました。それから、自分らしくのびのび指すように心掛けました。
その結果、31歳で名人位を当時の名人・丸山忠久九段から取ることができました。初めての名人位は1期で失いましたが、一度“名人”を経験したのは大きかったです。越えられないと思っていた名人の壁を越えられた。
壁は越える瞬間が一番大変で、一度越えれば「また越えられる」と思えます。私にとっては、たった一度のタイトル獲得の経験が大きかった。とにかく一度でいいから壁を越える経験をすることが何事においても大事だと思います。
正直、かつては、羽生さんと同世代であるということを不運に思ったこともありました。しかし今は、羽生さんや同世代の棋士がいたからここまで来られたという、感謝の気持ちしかないですね。
※森内俊之/著『覆す力』(小学館新書)より