最近、日本に恐妻家が急増しているらしい。サラリーマン川柳(第一生命が募集して選出)に、こんな“名作”がある。
〈領土権 妻はリビング 俺トイレ〉
夫としての立場はもちろんだが、恐妻の前では“父親の権威”も地に落ちる。
「僕が子供を叱ると、それを聞いていた妻が『あなたの叱り方は間違っている』と全否定。父親としての立場がない」(30代男性)
「休みの日、食器の片づけや部屋の掃除をしていると、子供の前なのに『お皿を置く場所はそこじゃないの。何度いったらわかるの?』『そんな掃除の仕方じゃダメよ』と怒鳴られる。これじゃあ、子供が父親のいうことを聞かなくなるはずです」(40代男性)
“一家の主である夫を立てる”なんていう美風は、もはや日本には存在しないようだ。それにしても、家計を支える大黒柱であるはずの夫を、なぜ妻はこうも邪険に扱えるのか。
「日本はもともと恐妻家だらけだった」と話すのは、高崎経済大学教授の八木秀次氏である。
「日本は男尊女卑というイメージがあるようですが、それは誤解です。昔から日本は女性の地位が高かった。江戸時代の古典落語にも、しっかり者の女房が主導権を握る一般庶民の生活が多く示されています。
また、日露戦争時に日本を訪れた英国人写真家は、日本の家庭の様子を“日本では婦人たちが大きな力を持っていて、家庭における優雅な支配力を感じる”と感想を述べている。これは、女性は利口な独裁者で、夫に“自分が手綱を握っている”と思わせておきながら自分が巧妙に支配しているということです」
しかし、日本における恐妻家のありようは、以前とはかなり違ってきているという。八木氏が続ける。
「もともと女性の地位が高かったところに、戦後、欧米から男女平等やフェミニズムなどの思想が入ってきたことで女性の地位はますます高くなった。“優雅な支配”から『優雅』が消え、文字通り、“支配”“独裁”になっているのです」
その流れに拍車をかけたのは、サラリーマンの給与が銀行振り込みになったことだと、ファイナンシャルプランナーの花輪陽子氏はいう。
「日本では1969年に、ATMの前身であるキャッシュディスペンサーが導入され、サラリーマンの給与振り込みが普及していった。現金を手にする有り難みが減ってしまったのです」
夫が給料袋を妻に手渡し、妻がうやうやしく受け取るという“儀式”が消滅。妻が夫の有り難みを感じる機会がなくなってしまった。
給与振り込みの普及で、“夫の小遣い制”も一般化した。オリックス銀行が昨年行なった調査によれば、家計を「妻が管理」している家庭は6割近くを占め、子供のいる家庭では65%にのぼる。しかも夫の53.4%が「小遣いが足りない」と感じつつも、ほとんどが増額交渉を行なっていないという実態も明らかになった。妻が怖くて不満を言い出せないのかもしれない。
〈昼食は 妻がセレブで 俺セルフ〉──またしてもサラリーマン川柳が身に沁みる。
※週刊ポスト2014年2月28日号