【書評】『胃ろうとシュークリーム 本当に大事なのは何ですか?』熊田梨恵/ロハスメディカル叢書/1575円
【評者】伊藤和弘(フリーライター)
胃ろうとは、口からものを食べられなくなった人のため、流動食を胃に直接流し込めるよう、腹に開けた「穴」(もしくは、そうした処置のこと)をいう。流動食の入ったボトルの先にチューブを繋ぎ、腹の穴を通して胃に流し込む。1回に200~400mm、朝昼晩約2時間ずつかけ、医師や看護師、または家族や介護職員によって入れられる。
私の義母は晩年、胃ろうを着けていた。食事の時間になると看護師が現れ、流動食のチューブを胃ろうに差し込む。それは自動車にガソリンを入れているようで、「食事」とはかけ離れた光景だった。短い期間ではあったが、意識のない義母に「本当に胃ろうを着けるべきだったのか?」という疑問は今なお消えない――
日本では50万~60万人が胃ろうを着けていると推定される。医療の発達によって、“食べられなくなっても生きられる”ようになったわけだが、それが「非人間的な延命処置」だと批判されることも多い。
そもそも胃ろうとは、栄養状態を改善して早くリハビリを始めるため、「一時的に使うべきもの」だった。ところが、本人の意思がわからない終末期の認知症患者や意識のない老人に用いられるケースが増えていった。そのため、「ただの延命手段になっている」「必要ない人にも着けられる」「リハビリをしないままになっている」といった声が上がり始めたのだ。
医療ジャーナリストの著者は、患者の家族、胃ろうを着ける医師、リハビリ病院の院長、医療政策の研究者、介護職の人など、約20人にインタビューを重ね、胃ろう問題の背景を探っていく。
胃ろうは決して悪いものではない。必要としている人が確かにいて、単純に是非を論じられるものではない、と著者はいう。要は使い方なのだ。批判的な声を招いている責任は、医療機関、医療制度、患者の家族、それぞれにある。取材を重ねながら、徐々に問題の本質に迫っていく過程がスリリングだ。インタビューの多くは一問一答式で、ときには10ページにわたって再現されている。
なお、印象的なタイトルは、エピローグに出てくる「最後にシュークリーム、食べさせてあげたかったわあ」という患者の家族の言葉から。一見他愛ない言葉だが、問題の根幹にかかわることでもあり、読後に深い余韻を残す。
※女性セブン2014年4月10日号