ベトナム戦争時に韓国軍が行なった蛮行。それは、韓国国民こそ向き合うべき問題だ。だが、彼らの社会ではそれが語られることは“タブー“になっている。
1999年5月、ハンギョレ新聞社が発行する週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)で、ベトナム通信員として活動していた韓国人の女性研究者が、ベトナム当局から資料を入手し現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。
同誌はその後も定期的に続報を打ちキャンペーンを張ったが、ベトナム戦争に参加した退役軍人たちは同誌に対し、猛烈な抗議活動を行なった。
彼らの怒りが頂点を迎えたのが翌年(2000年)の6月だった。迷彩の戦闘服を着た約2400人もの退役軍人が、ハンギョレ新聞社の前に集結した角材などを振り回しながら新聞社の社屋に突撃。窓ガラスを割り、デスクやパソコンなど編集部内の物を次々に破壊したのだ。
ベトナム戦争ではのべ32万人の韓国兵が派兵され、ベトナム人を大量殺戮した彼ら自身も無傷ではなかった。米軍機がベトコンを密林からあぶり出すために上空から散布した枯葉剤を浴び、後遺症に苦しむ元軍人たちが集まり枯葉剤戦友会が結成された。
会員数は現在約14万人。韓国政府により「枯葉剤後遺症」として認定された約6万人と、その疑いがある「後遺疑症」とされる約8万人からなる。
ただし、彼らは単なる「被害者団体」ではない。韓国国内における政治団体としては、最右翼、最保守団体に位置づけられ、たびたび暴力を辞さない過激なデモ行為を行なってきた。韓国人ジャーナリストが声を潜めていう。
「団体を構成するメンバーは最前線で戦った海兵隊出身者が多く、ハンギョレ新聞社襲撃のように武力行使も辞さない。どんな報復をされるかわからないので、舌鋒鋭いジャーナリストでも、この団体を敵に回すことは絶対にしない。
ハンギョレ新聞社の報道後、韓国でもベトナム戦争の真実を追求するシンポジウムが開催されることがあった。しかし、会場は迷彩服を着た同団体関係者と思しき人で埋め尽くされ、実行委員会側の人間に対して“ベトナムでは民間人でもベトコンを支持した人間は殺さなくてはいけなかった。それに異を唱えるお前らも戦場で会えば殺している”という脅迫を行なっていた。警察当局ですら尻込みするような屈強な男たちに脅されて怖くないはずがない」
先の『ハンギョレ21』で記事を執筆した女性研究者は、母国での活動に危険を感じ、ベトナムに移住している。本誌は電話やメールなどで彼女への接触を試みたが、締め切りまでに返信はなかった。
このように、韓国軍が行なった「ベトナム戦争での蛮行」は韓国社会にとっては、最大のタブーといえるのだ。韓国人の多くがベトナム戦争での虐殺と陵辱に対しての知識が少ないのは、保守派の「言論封殺」の結果なのである。
※週刊ポスト2014年4月18日号