未曾有の超高齢化社会の到来を目前に控え、寝たきり老人の介護問題が不安視されているが、噛んで食べるという人間本来の機能を取り戻すことで、寝たきりの高齢者が起き上がり、歩き出すという“奇跡的”な臨床例は枚挙に暇がない。しかし、これらが文字通りの“奇跡”でないことは、数多くの研究や調査が裏付けている。
「噛む」ことが長生きの秘訣であることを示すのが、厚労省が行なった「口腔保健と全身的な健康状態の関係について」のプロジェクト研究だ。最近では噛んで飲みこむ機能の重要性をレポートした『噛み合わせが人生を変える』(日本顎咬合学会著)という書籍も登場している。
「何でも噛んで食べることができる」人を咀嚼良好者というが、その割合は50歳代で78.2%だが、70歳代で59.2%に減少する。咀嚼は食べるだけではなく、全身の運動機能や知能の発達、精神活動、病気にまで大きな影響を及ぼす。この調査では、歯を失って噛めない人は、寿命も短くなることが裏付けられている。
糖尿病は寿命を縮める原因の一つだが、昔から、歯周病と糖尿病には密接な関係があることがよく知られている。歯周病を治すと血糖値も改善し、血糖値が下がると歯周病もよくなることが多い。
さらに、よく噛むと血糖値を下げる効果があることもわかってきた。「咀嚼と肥満の関連性に関する研究」(厚労省研究班)に関わった日本歯科衛生学会の武井典子会長の実験では、よく噛む「多咀嚼者」は少ない量で満腹感が得られ、食べる量が減る上、血糖値が上がりにくいという結果が出ている。
この実験は50回以上噛んだ場合と、それよりも少ない通常の噛み方を比較して、血糖値を調べたもの。よく噛んだ方が食後のインスリンの分泌量、ピーク量が少ないことがわかった。よく噛むと歯の歯周組織である歯根膜や咀嚼筋からの刺激が、脳の神経に伝わり、食欲を抑制して満腹感をもたらす効果があり、それが食べ過ぎを防ぎ、肥満予防にもつながるわけだ。
高齢化で増加している認知症との因果関係を示す研究もある。厚労省研究班が65歳の高齢者4425人を4年間にわたって追跡調査した結果、歯を失って噛めなくなった人は、最大1.9倍も認知症のリスクが高まるということがわかった。他にも同様の調査があり、残っている歯が少ないほど記憶や運動などの能力が低下する傾向にあることが示されている。つまり、噛む力を維持すれば、認知症予防にもつながるということになる。
※週刊ポスト2014年4月25日号