プロの将棋棋士とコンピュータソフトが5対5で戦う「電王戦」は、4月12日に第5局が行われ、人間側の1勝4敗に終わった。第3回目にして早くも存在意義に疑問の声があがっている「人間対コンピュータ」の戦いだが、将棋界には、こうなることを早くから予見していた棋士がいた。かつて将棋雑誌で編集者をしていた作家の大崎善生氏が、そのエピソードを綴る。
* * *
1996年に、日本将棋連盟が発行している将棋年鑑が、全棋士アンケートとして「コンピュータが人間に勝つ日は来るか」という質問をした。
当時のコンピュータはまだ将棋をきちんと指せるようになって間もないころで、アマチュアの初段にもはるかに及ばなかった。米長邦雄永世棋聖をはじめとする殆どの棋士たちの答えは「ありえません」というような完全否定に近いものだった。常識的に考えて、その答えは極めてまっとうなものに思えた。
しかしただ一人、正反対の答えを書いた棋士がいた。答えは簡単。2015年。回答者は当時26歳の羽生善治である。そのころ私は将棋雑誌の編集者をやっていたのだが、この羽生発言は今でもある種の薄気味悪さとともに強く印象に残っている。いくらなんでもこんなに弱いコンピュータが、そんな短期間でプロに追いつけるはずはないと本能的に感じてしまったからだ。
編集部に現れた羽生にあれは本当ですかと聞いた。羽生は「ええ、そんなもんでしょう」と答えた。何となく納得のいかない私は「では、どういう方法で強くするんですか」と聞くと「局面、局面を覚えさせるのです」と羽生は答えた。
つまり一手、一手の積み重ねではなくプロ棋士の棋譜をインプットし、局面、局面でどういう手が選択されたかを覚えこませていくということだった。現実的にソフトはそれと極めて近い方法で飛躍的に伸びていったと聞いている。
※週刊ポスト2014年5月2日号