1987年、旧厚生省が「上(収縮期血圧)が160未満、下(拡張期血圧)が95未満」と定めた血圧の正常値の範囲。
2000年には日本高血圧学会が、60歳ならば「上が140未満、下が90未満」というガイドラインを策定。その後、2008年にスタートした厚労省主導の特定健診では「上が130未満、下が85未満」が正常範囲と定められた。
同じ人間の血圧である。たった20年ほどの期間で、なぜ“健康な範囲”はそんなに厳しく、狭くなってきたのか。
血圧の健康基準値の厳格化は、日本だけがたどった道ではない。かつてはアメリカでも同様のことが起きた。
医学界で世界的に注目を浴びた『Selling sickness(邦題・怖くて飲めない!)』(2006年)の著者のひとりであるカナダ人ジャーナリストのアラン・カッセルズ氏は、同書のなかで、「基準値変更の影に大きな利権構造が存在する」と指摘する。
「アメリカでも最近まで、高血圧の基準値はどんどん引き下げられてきました。それにつれて、膨大な数の健康な人たちが病人の範疇に引き入れられることになった。
たとえば、アメリカでは当初、正常な血圧の範囲は『上が140未満、下が90未満』とされました。その時点で約6500万人の“高血圧症患者”が出現することになった。さらに2003年、『上が120未満、下が80未満』というガイドラインが策定されました。すると、一夜にしてさらに3000万人もの人たちが病気と判定された。
“病人”が増えて得をする人たちは誰か。それは、患者たちを診察して処置を施す医師たちと、薬を売りつける製薬会社です。彼らは利益を生むための手段として、血圧の基準値を厳しくすることを利用してきた。まさに、『高血圧マフィア』と呼ぶにふさわしい利権構造です」
さて、日本の現状に話を戻そう。日本でも前述のように、高血圧の健康な範囲はどんどん狭まってきている。
医療経済ジャーナリスト・室井一辰氏の協力で行なった本誌試算によれば、1987年のガイドラインを基準にすると、高血圧と診断される患者は現在の人口に当てはめると約1700万人。しかし、最新の基準を適用すると、患者数は約4000万人に増加する。
そうして病人が増えることで高血圧の薬の潜在市場がどれだけ増えることになるのか試算してみた。その結果、1987年の基準では年間7500億円程度だったが、現在の基準ではおよそ1兆7700億円にまで増えた計算になる。
つまり、基準値の厳格化によって、高血圧の治療薬だけで製薬業界全体の売り上げは年間1兆円ほど上乗せされたことになった。
●取材協力/室井一辰(医療経済ジャーナリスト)
※週刊ポスト2014年5月23日号