出会いは小学校時代に出場した将棋大会に遡る。以来、同じ年に生まれた2人の天才は、数十年にわたって棋界の頂点で死闘を続けることになる。早熟の天才・羽生善治三冠(43)と円熟の天才・森内俊之竜王・名人(43)。ともに永世名人同士、実に名人戦にして9度の戦いとなる「第72期名人戦」に作家・大崎善生氏が密着した。5月8、9日に行なわれた第3局の様子を綴る。
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初対決から33年後、この日相矢倉から始まった名人戦はこれまで羽生の2戦2勝。この一戦に勝てばタイトルに王手がかかる。戦いは、羽生が穴熊を目指し一日目から神経質な戦いを展開。駒損をしながら玉を固めようという高等戦術で、形勢判断の極めて難しい戦形に積極的に誘導している。
今期名人戦の第1局も観戦の機会を得て訪れたのだが、その戦形も森内が二枚の生飛車を自陣に持ち、羽生が二枚の角を自陣に据えるという見たことのないような戦形だった。子供同士で飛車と角の好きなほうを持ち合って、どっちが有利かやってみるという遊び将棋のような戦いで、まさに名人に定跡なしという自由さに溢れていた。しかもその将棋は中盤以降も形勢不明のぎりぎりの戦いが続き、名人戦史上でもまれに見る大激戦となっている。
定跡に縛られない自由な戦い。おそらくそれこそが羽生が、ここ数年で目指しているものであり、その結果、将棋はその本質に向かって突き進んでいるような印象を覚える。それまでの定跡や常識は次々に解体され、部品一つ一つを洗いなおされている。正しかったことが間違いになり、間違っていたことが正しくなる。そんな改革がついに名人戦という最高の舞台でもなされるようになっている。それを意図的に誘導しているのは羽生である。しかし対する森内も、次々と現れる局面にしっかりと対応している。
2人の将棋を観ているとしっかりとしたシンフォニーだったはずの将棋がまるでジャズのように聴こえてくる。とくにこのところの羽生の将棋には、その場その場で自由に音を奏でていく決まりも楽譜さえもない即興の魅力がある。少しでも音を拾い損なえば一瞬にして瓦解してしまうような、危うい場所を羽生は綱渡りのように歩いている。
一方の森内は堂々としたものだ。その表情も所作も指し手も端然と揺らぐところがなく、大名人の風格を備え付けているのには驚いた。常に同世代のスーパースター羽生の陰に隠れているような存在だったが、しかし決して離されることなく歯を食いしばって食らいつき、名人位に関しては羽生を凌いでいるのだから立派というしかない。大激戦となった第3局は羽生に軍配が上がったが、今期の名人戦観戦でもっとも私の印象に残ったのが森内の姿であった。
※週刊ポスト2014年5月30日号