神奈川・横浜の緑豊かな住宅地に、林隆三さん(享年70)の自宅はあった。120坪の広大な土地に建てられた地下1階地上4階建ての豪邸はひとりで暮らすにはあまりに広い家だった。
6月4日、入院先の都内の病院で腎不全のためになくなった林さん。死の直前までこの家で暮らしていたが、玄関脇やベランダの植木は手入れがされておらず、3階の出窓から見える障子の紙もところどころ破れたままになっていた。
林さんは1972年に妻・一子さんと結婚。2人の子供(長女・林真里花39才、長男38才)にも恵まれた。しかし、個人事務所の運営をめぐって妻と対立し、離婚協議の末、1999年に離婚してしまう。
「一子さんは娘さんと出て行ってしまい、林さんは息子さんと一緒に自宅に残りました。ですが、3年ほど前に息子さんも独立して、それからはずっと一人暮らしをされていました。それまできれいに整えられていたお庭も荒れてしまい見ている方も寂しい思いがしましたね」(近所住民)
林さんの唯一の楽しみは歌だった。近所のカラオケスナックや自宅に友人を招いては、『白い花の咲く頃』や『昴』などを好んで歌っていたという。
「子供たちと離れて暮らすようになってからもちょくちょく顔を合わせることはあったそうですが、やっぱりあの広すぎる豪邸での一人暮らしは寂しかったんじゃないかなぁ。お酒を飲むととにかく子供たちの話ばっかりでしたからね。家にもよく友達を誘っては朝まで飲み明かしていましたよ」(前出・林さんの知人)
そんな林さんを昨年夏、病が襲ったという。
「体調が悪くて病院に行ったら、がんと診断されて、すぐに手術をしたそうです。でも、だいぶ進行していたそうで、林さんは“長くはないかな”って話していました」(芸能関係者)
もう一度大好きな歌をみんなの前で歌いたい──死を前にそう決意した林さんは、25年ぶりに音楽活動を再開。亡くなる7日前には都内にあるレストランでライブを行った。
本人が選曲したオリジナル曲、ジャズ、ファンク、ソウルミュージックなど全17曲。必死に歌いきった林さんは、打ち上げに参加できないほど疲れ切っていたという。
そしてそのまま都内の病院に入院。4日の朝、息を引き取った。
※女性セブン2014年6月26日号