ベトナムで空前の日本語ブームが起きているという。かつてホーチミン市で日本語教師をしていたフリーライター・神田憲行氏がベトナム人の日本語熱について語る。
* * *
9日の朝日新聞の報道によると、ベトナムから日本への昨年度の語学留学生は前年比の4倍になり、ハノイやホー・チ・ミンの日本語学校は、現地に進出している日本企業への就職を狙ったベトナム人学生たちが増えているという。
私も今から20年ほど前、ホー・チ・ミン市で日本語教師をしていた。日本人教師が私を含めて6名、生徒数は約600人。市内でも最大規模の外国語学校だったと思う。生徒さんの大半は社会人だった。
日本語を学ぶ目的は日系企業への就職や、日本人相手の商売であることは今と変わらないが、2国間の関係が大きく異なる。当時、日本はベトナムに経済制裁を加えており、まだ日本の大企業は本格的に進出していなかった。日本の領事館に長期の滞在届けを出している市内在住の日本人は100人前後だと言われた。また、入国するのにビザ、入国した後は滞在届け、他の都市に移動するには移動許可証が必要で、そんな面倒くさい国に観光に来る人も少なかった。
そんな少ない可能性のなかで、大半の生徒さんは熱心だった。それだけでなく、次第に日本語が上達してコミュニケーションが密になってきて、驚くような知性のきらめきや豊かな人間性を感じさせてくれる人も多かった。彼らと毎日接していて、私は自分を省みるようになっていった。
役割として「先生」をしていてそう呼ばれるが、それはひとえに私が「日本人」に生まれたからであり、日本人に生まれたことに私は1ミリも努力していない。翻って生徒さんたちはどうだろう……。他人にモノを教える行為は、人を謙虚にさせる。私はベトナムの人々を尊敬するようになった。
あれから20年、当時月給20ドルの化学教師だった生徒さんは売れっ子ガイドとして活躍している。オートバイが買えず、サビの浮いた自転車で学校に通ってきた人はベトナムで大きなレストランを経営している。彼らは賭けに勝ったのだ。
日本語を学んでくれる外国の人が増えるのは嬉しい。でもそこに、教える側の傲慢さが潜んではならない。日本を取り巻く国際環境が厳しい中、我々が学ぶべき相手は我々の言葉を学んでくれる人々である。