9月6日、作詞家で直木賞作家の山口洋子さん(享年77)が、呼吸器不全のため亡くなった。昨年1月に誤嚥性肺炎を患い、この半年は入退院を繰り返す生活を送っていたという。
17才で芸能界入りした山口さんは19才でホステスに転身。東京・銀座に高級クラブ『姫』をオープンし、当時、“銀座最年少ママ”として一世を風靡した女性だった。
「6坪ほどの小さい店内に、石原裕次郎、勝新太郎、長嶋茂雄、吉行淳之介など各界の超一流どころが集まる華やかな店でした。友人の歌手・神楽坂浮子さんから依頼されて銀座ホステスの哀愁を描いた歌を書いたのをきっかけに、作詞家としても活動するようになったんです」(山口さんの知人)
その後、中条きよしの『うそ』、石原裕次郎の『ブランデーグラス』と、作詞を手がけた曲は次々と大ヒット。中でも、彼女が見いだしたいちばんの“出世頭”が、五木ひろし(66才)だった。
「1970年、まだ無名の五木さんと出会った山口さんは、彼の才能を見抜き、全力でバックアップしたんです。彼女の作詞した『よこはま・たそがれ』がオリコン1位になったとき、五木さんは仕事場から山口さんに電話して、“先生のおかげです…”と泣き続けたそうです」(前出・山口さんの知人)
以後、『夜空』『ふるさと』と、五木・山口コンビの躍進が続くが、いつしか2人の間に溝もできていった。
「五木さんはスターになった途端、どんどん生活が派手になったんです。高級外車を乗り回して、いろんな店で散財するようになって…。山口さんは、銀座で数多くの男性を見てきたかたです。金にものをいわせる男からは、人が離れていく、ということを誰よりも知っていました。
だから、ある夜、五木さんを叱りつけたんです。“本当のスターは、自分がキャデラックに乗ることじゃない。周りのスタッフを何台キャデラックに乗せられたか、ということでしょう!”って」(別の山口さんの知人)
山口さんの訃報に触れた五木は、メディアの取材に対し、「私の命のある限り、山口さんと共に歩んでいきます」とコメントしている。
※女性セブン2014年10月2日号