【著者に訊け】金田一秀穂氏/『金田一家、日本語百年のひみつ』/朝日新書/760円+税
一般に遺伝には、二種類あるという。一つは体質や顔といった生物学的遺伝、もう一つは環境的遺伝だ。
どちらをどう継いだかは定かでないが初代京助氏と二代目春彦氏、そして三代目の金田一秀穂氏は、三代が三代とも日本語の研究者になった。初代はアイヌ語の研究で知られた言語学者。二代目は方言やアクセントが専門の国語学者。三代目は杏林大学外国語学部等で日本語を教える日本語学者。一家の歩みが明治~平成に至る日本語の歩みをそのまま体現するからこそ、本書は成就したと言える。
その親しみやすい語り口がテレビ等でも人気の三代目だが、〈私が俗であるのは、研究者としての当然の態度であって、志が低いからではない〉とある。何しろ氏の生家は日本語研究の現場。世にいう〈日本語の乱れ〉にも柔軟に対峙する姿勢は、同家に代々伝わる「好奇心という財産」を感じさせる。
何かにつけて〈変なもの〉を好む著者の研究室には、よく海外で日本語を教える卒業生が〈その国の妙なお菓子〉を持って訪ねてくるという。ある日の手土産は〈チューブに入ったドリアンの羊羹のようなもの〉! 強烈な臭いに吐き出す者も多い中、こんな学生もいた。
〈あたしこれ好きかも!〉
本来なら「好き」と言い切るべき主観に、なぜ彼女は「かも」を付ける必要があったのか。〈金田一探偵〉はこう推理する。〈彼らを見ていて感じるのは、アナログであることを保持したいという欲求である。「好き」とか「嫌い」に分けられる簡単な○×式の答えには当てはまらない気持ち〉。
実はこの第一章「平成のことばたち」は、いわゆる〈正しい日本語〉の薀蓄を求める編集側の意向で連載が終了したとか。が、〈言葉は変化することにその本質がある〉と、〈普遍を求めながら特殊を恐れない〉のが、秀穂氏の基本姿勢。
「言葉は学者だけじゃなく、若者やオジサンやみんなのものだからね。そのみんなが良かれと思って使ってるのだから、多少失敗はあっても概ね正しいし、生きているからこそ変化する言葉を、僕は面白いと思います」
「○○でよろしかったでしょうか」等々の〈コンビニ敬語〉にしても、基本的には敬語の形も変化して当然。そして「お住まいは杉並でしたね」という時の〈確認の「タ」〉に、氏は「よろしかった」の源流を見て取り、地図上の建物にすら〈さん付け〉する〈異常なほどの配慮〉をこそ問題視する。