先ごろ日本のある出版社の日韓モノ出版企画の座談会に出席した折、不思議な(?)言葉を耳にして驚いた。日本で高潮しているいわゆる反韓、嫌韓感情の裏には、韓国に対する日本人の「剥奪感」が作用しているというのだ。
つまり近年、威勢のいい韓国のせいで日本が被害、損害を被っているという意識のことである。反日への不快感のほか、たとえばサムスンや現代など韓国企業のせいで日本企業がダメになり、日本が不景気になっているとか、スポーツや大衆文化でも日本が押されて損をしているとか。
たしかに、先ごろ終わった「インチョン(仁川)アジア競技大会」では、日本のバドミントン選手がコートに突然、吹き付けた”疑惑の風”で韓国選手に負け、女子ボクシングではインドの選手が不可解な判定で韓国選手に金メダルを奪われるといった「剥奪事件」はあったが。
しかし、日本社会で韓国に何か奪われているという「剥奪感」が生じているのは気になる。そんな感情がうだつの上がらない人々の気持ちを刺激し、それが反韓になっているとは。
これ、本当なのだろうか。もしそうだとすれば、ちょっと待って欲しい。それは韓国に対する過大評価であり、日本に対する過剰な卑下だ。もっと韓国の現状、日本の存在感に対するバランスの取れた見方が必要だ。
というのは韓国は「反日」にもかかわらず昔も今も「日本」があふれていて、むしろ韓国人の方が昔から日本に対する「剥奪感」に苛まれてきたのだ。それは今も続いている。経済、文化をはじめあらゆる分野での”対日赤字感”ともいえるが、それがやっと最近になって「韓流ブーム」などで収支改善の兆しが見えたに過ぎない。
●文/黒田勝弘(産経新聞ソウル駐在客員論説委員)
※SAPIO2014年12月号