恋愛、震災ボランティア、知事、国会議員、さまざまな話題を“提供”してきた田中康夫氏が、フルタイムの作家として戻って来た。1980年に文藝賞を受賞、翌年1月に出版され大ベストセラーになった『なんとなく、クリスタル』。当時21才だったヒロイン由利を主人公に、彼女の好きな服やブランド、音楽などを通じて消費社会をしなやかに享受する若者像を描いた。
そして、この11月末に、小説『33年後のなんとなく、クリスタル』(河出書房新社)を出版する田中康夫氏に、話を訊いた。
「久しぶりに小説が書けたのは、失職して時間ができたというのも大きいですね」(田中氏・以下「」内同)
たとえば長野県知事時代は、睡眠時間が毎日3、4時間という多忙さ。手のアトピーが、日毎に悪化した。
「ストレスが原因かな。ネクタイを締めるのにもひと苦労でした。ザラザラした手で握手するわけにもいかず、支援者が差し入れてくれた長野県産のシルクで編んだ手袋が欠かせませんでした。知事を退任したら、不思議とおさまりましたけど」
そんな時期も支えてくれた10才年下のJAL客室乗務員だった恵さんと結婚したのは、兵庫県尼崎市を地盤とする衆議院議員だった4年前のことだ。
恵さんは田中さんが16年も連載した異色エッセイ「東京ペログリ日記」に最多登場のW嬢のモデルといわれる。そう考えると、ずいぶん長い春だった。
「家内とは、ケミストリー(相性)が合うんでしょうね」
先日もこんなことがあった。今回の『33年後のなんとなく、クリスタル』の著者プロフィールはナント、タナカ家の家族の一員である4才のトイプードルのロッタ嬢が担当(という仕掛け)。
「“ロッタの書いた原稿”をテーブルに置いていたら、妻が買い物へ出かける前にチラッと見て、“パパとママのウザイくらいの愛を一身に受けて成長中”なあんて鉛筆で書き加えたんですよ。確かにその一文があるのとないのとでは違う。思わず、印税の10円分くらいは妻に振り込まなきゃと思いました。なあんて、のろけ話に聞こえちゃいそうですが、僕にはない才能ですね」
執筆に行き詰まって「オレ、才能ないな」と夫がぼやいてると、「才能の枯渇は才能のある人が言う。byニーチェ うそ」とメモがそっと回ってくる。「ロッタのご主人様は家内、僕は家内の執事」という家庭内序列が揺るがないのも、むべなるかな。
夫婦ともに食べ歩きが好きな外食派だが、家で食事するときは、タイ風はるさめサラダ(ヤムウンセン)や、季節の食材を使った土鍋ごはんなど、恵さんの手料理。お気に入りのイタリアの白ワインを2人で2本も空けて11時過ぎにはベッド、朝の5時にはロッタに起こされるという生活だ。
※女性セブン2014年11月20日号