日本の「歴史歪曲」にはうるさい韓国が、次の攻撃材料に選んだのは何と100年も前、明治時代の錦絵だった。『明治日本の錦絵は韓国の歴史をどう歪めたか』と題された約200ページの冊子には、1870年代後半から1890年代半ばまでに日本で描かれた65点もの錦絵を掲載。
執筆者は韓国のメディアに対し、「日本で韓国史を歪曲した書籍の出版や強制占領支配を美化した右翼の論調が強化される傾向に能動的に対応するため」と語気を強めたが、果たしてどんな内容なのか。
やり玉にあげられたのが、「壬午事変」を描いた絵だ。これは李朝末期の1882年7月23日に発生した王妃・閔妃暗殺の風聞を伝えた錦絵で、恐れ慄く閔妃ともう1人の女性の前に、鮮血のついた刀を持った男が立っている。男は大院君。閔妃の舅だ。
この計画は、閔妃が極秘で清国の下に身を隠したために失敗に終わった。ところが冊子は、閔妃の暗殺は未遂に終わったのだから「大院君の王妃殺害を連想させる錦絵は歴史歪曲だ」と攻撃する。歪曲云々以前に、これではただの揚げ足取りだ。明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏が語る。
「当時の錦絵は『ニュース版画』の役割がありました。画家は、閔妃が大院君に殺害されたという風聞を元に絵を描いたに過ぎず、しかも、未遂の事実は当時の日本に伝わっていなかった。そもそも錦絵を『史実を示す史料』として扱うほうが間違っています」
この事件では日本公使館も襲われた。その様子を描いた錦絵もある。騒乱の中、朝鮮人暴徒が公使館に隣接する建物に放火、公使館周辺は火の海と化した。公使の花房義質ら職員は、敷地内の建物に立てこもり応戦したが、朝鮮人暴徒に囲まれ公使館の放棄を決断。自ら火を放ち脱出に成功した。
ところが冊子は、「公使館を燃やしたのは(日本人)公使」とだけ記述し、事件の背景については振り返ろうとしない。
日本の「歴史歪曲」を非難するのは韓国のお家芸だが、慰安婦の「強制連行説」こそ歴史歪曲だとはっきりしたいま、本気で正対しては分が悪い。そこで絶対に言い返してこない明治の日本人を攻撃相手に選んだと言うことか。それにしても、難癖が過ぎるのではないか?
※SAPIO2014年12月号