「イスラム国」に日本人の湯川遥菜氏(42)が拘束されて3か月が過ぎた。その間、イスラム国への空爆に参加、もしくは支持した国の人質が何人も公開処刑された。湯川氏の命はいつ奪われても不思議でない状況にある。その一方で、外務省は、イスラム国幹部とのパイプを駆使して湯川氏救出に乗り出した中田考・同志社大客員教授の提案を黙殺していた。11月22日発売の週刊ポスト(12月5日号)で、中田氏が証言している。
10月6日、イスラム国支配地域への渡航を計画したとして、26歳の北大生が私戦予備・陰謀容疑で家宅捜索された。中田氏はイスラム国と連絡をとり合える唯一の日本人であり、北大生の渡航を手助けした“渡航計画の中心人物”として公安警察に狙われることになった。翌朝、警視庁公安部の家宅捜索を受けた。
「青天の霹靂でした。まさか自分が疑いの目で見られているとは思ってもみなかったので、あれよという間に、その場で任意の聴取まで受け、参考人調書にサインしていました」(中田氏)
中田氏はイスラム諸国とのパイプを活かして長年外務省の要請に協力する立場だった。人質解放のために危険を冒してシリアにも渡ったという。
「それなのに、日本政府は人質救出を支援するところか、私を私戦予備の疑いで捜査している。どういうことなのでしょうか」(同)
中田氏は、同誌上で北大生の留学の手助けをした理由について、「イスラム国のために動いているわけではない」と断った上で、懸け橋になる日本人は多いほうがよいと考えていたことなど、背景を詳しく述べている。
また、8月末にはイスラム国の司令官と連絡をとった上で、中田氏は支配地域に入り湯川氏を救出しようとしたが、外務省の支援が得られなかったために断念せざるをえなかった経緯についても詳しく説明している。
外務省の対応は、手詰まりになっていた湯川氏救出の唯一の道を防ぐ行為でもあり、湯川氏を見捨てたことにもなる。中田氏はこういってはばからない。
「もっと早ければ助けられたかもしれないと思うと無念でなりません」
中田氏に対する捜査とシリア行きの一件にどのようなつながりがあるのか明らかではないが、中田氏を通じて日本人人質を救うチャンスをみすみす逸した日本政府がその失態を隠そうとするための捜査とも見えると同誌は分析している。
●取材協力/児玉博(ジャーナリスト)