旧暦10月、日本各地の八百万の神々は島根・出雲に集まり、大神のもとで人間の縁などついて「神議り」(かみはかり)という“話し合い”をするという。出雲での「神議り」をすべて終えた神々が、最後に立ち寄るのは、今年136年ぶりの造替遷宮を行なった万九千神社である。万九千神社宮司・錦田剛志氏が、謎に包まれた出雲の神事について解説する。
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日本の神々の総数は計り知れない。ゆえに先人たちは八百万の神と呼び習わし、畏敬と感謝の祈りを捧げてきた。全国8万の神社から参集した神々を迎えて執り行なわれる「神迎祭」に始まる出雲の神事は、わが家が代々奉仕する万九千神社で終了し、神々は各地に戻っていかれる。
そもそも八百万の神がなぜ出雲へお集まりになるのか。日本各地には多くの伝承が残り、出雲に向かう理由も「縁組み」「酒造り」「奉公」「料理」「里帰り」など様々だ。一方、出雲の地では『日本書紀』の国譲り神話に基づく説が通説とされる。
かつて大国主大神が天照大御神に国土を献上する際、物質世界の統治権を譲るかわりに、「神事」(かくれたること)「幽事」(かくりごと)と呼ばれる目に見えない世界を統治するという約束を交わされた。
日本各地に鎮まる八百万の神々は、年に1度、大国主大神のもとで次の1年のさまざまな取り決めについて「神議り」を行なうために出雲に集まられるとされているのだ。テーマは、国の繁栄から五穀豊穣、縁結びにまで至るというのだから、さながら神々による“サミット”といえるだろう。
出雲では「神在祭」を「お忌みさん」と呼ぶ。かつては神々の会議の邪魔にならぬよう、歌舞音曲はもちろん、爪や髪を切ることすら物忌みとして控え、心静かに暮らしたものだ。
では、なぜ神在祭が旧暦10月に行なわれるのか。出雲大社の祭神が10月にだけ日本を統治するからとか、八百万の神の母神・イザナミが10月に出雲で崩御されたからなど、諸説あって定かではない。
このように謎も多い出雲の神事ではあるが、現存する文献上の初見は、平安時代後期の藤原清輔による歌学書『奥義抄』の次の一節とされている。
「十月神無月、天の下のもろもろの神 出雲国にゆきてこと国に神なきがゆゑにかみなし月といふをあやまれり」
こうして、古から日本人が抱き続ける見えぬものへの深い畏敬の念は、今もなお「神在祭」の中に生き続けている。
撮影■中野晴生
※週刊ポスト2014年11月28日号