韓国人作家・柳舜夏氏は、日韓の文化を比較しながら韓国の反日コンプレックスを指摘する問題作『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』(小学館刊)のなかで、韓国の悪口と日本の悪口を比較している。
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日本の悪口は、聞きながら下品、不憫、残忍さを感じる悪口はほとんどない。クソ、ボケ、間抜け、馬鹿、馬鹿野郎、くそったれ、カス、ゴミ、畜生、嘘つきなどなど。韓国人の悪口に慣れた者からすると、何か味気ない。おそらく、日本の悪口の平均値は、韓国の「パボ(阿呆)」や「モンチョンイ(馬鹿)」程度になるだろう。これでは悪口にもならない。楽器に例えるなら草笛レベルだ。
対して韓国の悪口は、「大規模クロスオーバー・オーケストラ」だ。ありふれた悪口を書きだしてみるだけでも、15個ぐらいあっという間に思いつく。
例えば、野蛮人の息子、出来損ない、月足らず、女奴隷の子、父なし野蛮人の息子、無知な人間、学校の門前にも行けなかったやつ、股を引き裂いて殺すべきやつ、五殺すべき野郎、戮死すべきやつ、四肢を引き裂いて殺したい野郎、肝を取って食べても冴えないやつ、物乞いして食べまくるやつ、 だんなの背骨を取って食べまくるやつ、真夏に伝染病にかかって汗もかけずにくたばる野郎、出来損ないが震えてやがる、ふぬけ、骨をすりおろして飲んでも冴えないやつ、糞尿で揚げて殺すべきやつ、雷に当たって死ぬやつ、くたばるべき人間、刺身包丁で干し肉にすべきやつ……。
もうこれくらいにしておこう。なんだか、読者に読ませるのがとても不憫に思えてくる。 私が幼い頃に聞いた韓国人の悪口は、これほど多様でも、ひどいものでもなかった。「畜狗」のようなやつ、頭でっかち、どあほう、牛みたいなやつ、出来損ない……といった類のものだった。家で飼う犬という意味の「畜狗」という言葉はなかなか突拍子もなくユーモアがあった。ところが時間が経つにつれ、韓国の悪口はさらに下品に、残忍に、感情的になっているように感じる。アメリカや日本に比べても、世界最悪ではないだろうか。
※柳舜夏氏・著/『韓国人の癇癪 日本人の微笑み』より