任侠映画のスターだった菅原文太さんの死は、個人的な付き合いもあったことから、ノンフィクション作家の佐野眞一氏にとって衝撃を受ける出来事だった。亡くなる約4週間前に沖縄で見た菅原さんの最後の様子を、佐野氏がつづる。
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文太さんの姿を最後に見たのは、死の約4週間前の11月1日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で行われた沖縄県知事候補者の翁長(おなが)雄志1万人支援集会だった。
文太さんは2014年1月にPR誌の対談で会ったときよりかなりやつれて見えた。だが、応援演説は迫力満点だった。
「仲井眞(なかいま、弘多)知事は沖縄の人々を裏切り、公約を反故にして、辺野古を売り渡した。古い映画だけど『仁義なき戦い』に、山守っていう裏切り者の親分が出ていたのを覚えていらっしゃる方もいるかな? 映画の最後で俺は『山守さん、弾はまだ残っとるがよ』と言うんだけど、それをまねして言えば『仲井眞さん、弾はまだ一発残っとるがよ』と、ぶつけてやりたい」
会場は万雷の拍手喝采の渦に包まれた。このとき翁長氏の当選が事実上決まった。文太さんには、ぽっと出の政治家のような大衆受けを狙った卑しさはまったくなかった。素顔の文太さんには「トラック野郎」などの役柄からは想像できない「品」を感じた。
その言動には出演作の役柄を含めて、幕末から戦後まで続く歴史の等高線が刻まれた身体性があった。その記憶が文太さんの死で日本人の中から薄れていくのが残念でならない。彼の死は、日本が等高線も身体性もない閉塞社会に突入したことを象徴しているように見える。
2014年末の衆議院総選挙で、自公勢力は楽々と定数の三分の二議席を突破した。改憲を発議できる議席数である。
特に憂えるのは、投票率が52.66%と戦後最低だったことである。この数字は、魅力ある政治家がいなくなったことと、共産党を除いて野党らしい野党がなくなったことを物語っている。維新など“第三極”の政策を見ても、与党だか野党だかわからない。
2015年の日本はこうした正体不明の政治家連中が結集して、文太さんが恐れた戦争ができる国に着々と近づく社会になるだろう。
歴史の等高線を失って何もかもフラットになった社会ほど退屈で恐ろしいものはない。それは「仁義なき戦い」の冒頭に流れる不気味でダイナミックな音楽にも共通する荒々しい改革のエネルギーを失った、権力者の意のままになる社会の別名だからである。
※SAPIO2015年2月号