イスラム国による日本人人質事件をめぐって、新聞、テレビでは集団的自衛権行使と結びつける議論が盛んに繰り広げられた。「安倍首相のタカ派路線のせいで邦人が亡くなった。集団的自衛権を本当に行使する覚悟があるのか」といったものだ。しかし、イスラム国は集団的自衛権には一言も言及しておらず、人質事件を自分たちの政治信条に利用するこじつけとしか見えない。
まずわれわれは、今回の人質事件において、日本政府が「何もできなかった」という事実を認識すべきだ。
人質となった湯川遥菜さんの行動がどうであれ、彼が拘束されてから5か月もの間、政府はなんら有効策を打てず“72時間”前になって急に慌てふためいた結果、救出に失敗した。
日本には何が足りなかったのだろうか。イスラム国と対峙する国はすべて、綺麗ごととはほど遠い現実的な対応策を迫られている。たとえばアメリカでは、息子をイスラム国に拘束された母親が、「身代金を払えば反テロ法違反で訴追する」と政府に脅されている。
一方でフランス政府に救出された同国のジャーナリストにしても、いまだにどうして自分の身柄が引き渡されたかを知らない。フランスが身代金を支払った経緯は、決して表に出てはいけないものだからだ。 「どんな汚い手を使ってでも国を守る」……良いも悪いもない、これが世界の現実なのだ。そして、日本にはそうした「汚い手」が決定的に欠けていた。
この国にいま必要なのは、イスラム国という目の前の脅威に立ち向かう具体策だけだ。長期的な国家ビジョンを語るのは、その後でも遅くない。「美しい国」の前に、まずは「汚くてもいいから世界を生き抜ける国」になる必要がある。いいかげん、メディアも綺麗ごとばかり語るのはやめたほうがいい。
※SAPIO2015年3月号