日本政府が2000年に開始した中国での「遺棄化学兵器処理事業」は、予算の使途が不透明なことから“第2のODA”とも呼ばれ、1兆から数兆円規模の巨大事業になることが懸念されてきた。中国側の言いなりで投じられた血税はすでに1400億円超。ジャーナリスト・水間政憲氏が同事業の闇を暴く。
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1997年の化学兵器禁止条約(CWC)発効を受け、1999年に日中両国が取り交わした覚書には、「中華人民共和国内に大量の旧日本軍の遺棄化学兵器が存在していることを確認した」と明記された。さらに「遺棄化学兵器の廃棄のため、すべての必要な資金、技術、専門家、施設その他の資源を提供する」との約束が盛り込まれたのである。
中国は1987年6月のジュネーブ軍縮会議で突如、化学兵器遺棄国の責任問題を議題に上げ、CWCの付帯条項に「他の締結国の領域内に遺棄した化学兵器の廃棄義務」を盛り込むことに成功。
化学兵器処理事業が「カネの生る木」になると踏み、1990年以降、「旧日本軍が中国に遺棄した化学兵器は200万発以上(日本政府は30万~40万発と推定)」などと根拠のない数字を持ち出しては日本政府に問題解決を迫るようになったのだ。
そうした中国側の策略を後押ししたのは、従軍慰安婦問題で悪名高き河野洋平・外務大臣と村山富市・首相(いずれも当時)の国会答弁だった。
「(化学兵器が)旧軍のものであるということがはっきりすれば、当然わが国がそれを処理する義務、責任があるというふうに思います」(河野答弁=1995年4月11日)
「遺棄した方の国にその処理の責任がある(中略)誠実に実行しなきゃならぬということは当然であります」(村山答弁=1995年12月28日)
こうして日本政府による「遺棄化学兵器処理事業」は、中国側の言い分を検証することなく、相手の要求を丸呑みする形で開始されたのである。
そもそも、中国大陸及び満州に展開していた旧日本軍は終戦に伴う武装解除によって化学兵器を含むすべての武器・弾薬を国民党軍とソ連軍に引き渡しており、それらを遺棄した事実はない。これは、2006年に筆者が山形県鶴岡市の「シベリア資料館」で入手した約600冊に及ぶ「旧日本軍兵器引継書」の詳細な記録からも明らかになっている。CWCは「他の締結国の領域内に遺棄した化学兵器」の廃棄を義務付けているに過ぎず、中国側に「引き渡した」兵器は本来、中国が責任を持って処理すべきなのだ。
※SAPIO2015年3月号