元広島カープの安仁屋宗八(あにや・そうはち)氏は巨人戦の勝利数34。これは江夏豊(阪神、広島など)、星野仙一(中日)の35勝に次ぐ歴代8位の成績だ。1964年に広島に入団したのち、巨人キラーとなる原点の年となった1966年当時のことを安仁屋氏が振り返り、語った。この時代はまさに巨人のV9時代である。
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この年から正式に監督になった長谷川(良平)さんから、こう聞かれたんです。
「名前を残したいか、成績を残したいか」
初めは意味がわからなかったが、要は「巨人キラーになって名を残すか、勝てる球団に投げて勝ち星を残すか」という意味でした。
僕は言える立場じゃないので「長谷川さんに任せます」と答えたら、「よしわかった」と、巨人戦にローテーションを合わせてくれるようになった。そこから巨人3連戦では1戦目は先発、2戦目はリリーフ、3戦目は抑えと3連投が当たり前になりました。
今だから言えますが、巨人戦での勝ち星は2倍の評価を受けていました。つまり巨人戦で1勝をすると査定では2勝分。同じ勝ち星を挙げた投手よりも、給料は僕のほうが高かったと思いますね。
※週刊ポスト2015年3月6日号