お笑いコンビ・ピースの又吉直樹(34才)による小説『火花』が、35万部を超えるヒットとなっている──。
「ぼくは周囲から期待されたキャラクターがあると、思わずそれを演じてしまうようなところがあります」
今年最大の話題作となること必須の『火花』の著者は、下を向き、一息ついてから顔を上げて語り始める。
『火花』は、「僕」こと駆け出しのお笑い芸人徳永の側から、4才年上の先輩芸人「神谷さん」との出会いと交流を描く、ちょっとせつない大人の青春小説。仕事の空き時間を縫って書くようなことはせず、住まいとは別に借りた質素な執筆部屋に通い、パソコンに向き合って書き上げたという。
「中学生の頃から、純文学といわれるものばかり読んできたんで、ぼくのスタンダードは純文学なんです。これは小説を書こうとかあまり意識せず、ぼくのスタンダードのままに自然体で書けた気がします」(又吉、以下「」内同)
「僕」と「神谷さん」の出会いは、営業先の熱海の花火大会。神谷がビールケースの上という舞台から幼女に見せた素の優しさと、主催者の怒りに触れても態度がおどおどとなったりしない“わが道を行く”タイプのお笑い魂に触れ、その夜──《僕は神谷さんに『弟子にして下さい』と頭を下げていた》──
「僕」がお笑いで食べていけるようになりたいと夢を語れば、神谷が“本当の漫才師とは”と持論をぶち上げる。2人の会話はときに息の合った漫才、ときに深遠なお笑い論や芸人論だ。
「僕」は自分のことをこう描写する。──《僕は周囲の人達から斜に構えていると捉えられることが多かった。緊張で顔が強張っているだけであっても、それは他者に興味を持っていないことの意思表示、もしくは好戦的な敵意と受け取られた》──そう受け取られると──《いつの間にか自分でもそうしなければならないような気になり》、《戸惑いつつも、あるいは、これこそが本当の自分なのではないかなどと右往左往するのである》──
又吉直樹の自画像にも見えるようなこのくだりに、さらに私たちはわが身を振り返って、“あるある”と思ってしまう。例えば“明るい人ね”と言われれば、つい悩みなどないふうに振る舞うなど、人は多かれ少なかれ、どこかでちょっとずつ演技をしながら、悪目立ちしないように生きている。
「徳永とぼくは、重なる部分もあります。ぼくが恐れるのは、好きな人に嫌われたくないということで、それは気にしすぎるくらい気にします。でも、好きでも嫌いでもない人には、どう思われようが、まったく気にならない。そこは徳永のほうが敏感ですね。
ぼくには二面性があるんです。その場が明るかったら暗く、暗かったら明るく、場が静かなら積極的に話しかけ、喋ってるやつがいたら聞き役に回る。それを俯瞰で見ている自分もいて、俯瞰の自分はその場がみんなにとっていちばん楽しい場になることを望んでる。そこが“自分をわかってもらえない”と悩んでる人たちよりも、一個ラクになっている点かもしれないです」
※女性セブン2015年4月9・16日号