満州国という人工国家の成り立ちから終わりまでを、歴史に翻弄された四兄弟の生き様を通じて描き切る船戸与一氏の大河小説『満州国演義』(新潮社)全九部がついに完結した。
この小説は、歴史とは何か、国家とは何かという大きな問いを読者に突きつける。それによって満州は、いまの日本、中国、さらにはイスラム国にまでつながってくるのだ。作家・高山文彦氏が船戸氏に聞いた。
──雑誌のインタビュー(『波』2014年1月号)で、作品で描かれる満州や日本と現在の日本は似てませんかっていう質問に対して、船戸さんは、「むしろ、いまの中国のほうが似ている」と言っているんですね。大変面白い指摘だなと思って。
船戸:三か月ぐらい前かな、シンガポール大学の中国人教授が、天安門事件を見て、トウ小平は階級史観を捨てて、民族主義に移ったというふうに書いていた。それから現状を見ると、ぴたっと符合するんだよね。
つまり、あのころはトウ小平は、「能ある鷹は爪を隠せ」で、おとなしくしてろと言っていたが、いざ国家としての生産性があがってきたら、やれ尖閣だ、南シナ海だっていって、露骨な民族主義を示している。
──なるほど、確かにそうですね。
船戸:実際に中国に行って話を聞いてみると、天安門事件を批判するどんな民主派でも、ウイグルとチベットだけは絶対離さないとみんな口を揃える。マルクス主義なんかは、もう捨てられてしまって、民族主義だけになってきた。
しかも中国の民族主義は、実際には漢民族のもので、例えば、父親が漢民族なら全部漢民族になってしまう。少しでも血が混ざれば漢民族という考え方で。チベットもそうして漢民族化させようとしている。漢民族による民族主義でしかないんだよ。
※SAPIO2015年4月号