多くの文学者たちが戦意高揚や戦争礼賛の文章を発表したが戦後、彼らの言葉は一転して批判され、タブー視された。だが、彼らの当時の言葉にこそ、「戦争」の真実があるのではないか。文芸評論家の富岡幸一郎氏が読み解く。
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「十二月八日午前六時発表、帝国陸海軍は、今八日未明、西太平洋において米英軍と戦争状態に入れり」
日本海軍の真珠湾奇襲の報が国民にこのように伝えられたとき、日本人はどのような思いに駆られたのか。驚きは不安をもたらしたのか、それとも何か別の感情であったのか。
『智恵子抄』で親しまれてきた詩人の高村光太郎は、宣戦の詔勅を聞いたときの感動を次のように書き記している。
《聴き行くうちにおのずから身うちがしまり、いつのまにか眼鏡がくもって来た。私はそのままでいた。奉読が終ると、みな目がさめたようにして急に歩きはじめた。…頭の中が透きとおるような気がした。世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。
現在そのものは高められ確然たる軌道に乗り、純一深遠な意味を帯び、光を発し、いくらでもゆけるものとなった。…ハワイ真珠湾襲撃の戦果が報ぜられていた。戦艦二隻轟沈というような思いもかけぬ捷報(しょうほう、注・勝利の知らせ)が、息をはずませたアナウンサーの声によって響きわたると、思わずなみ居る人達から拍手が起る。私は不覚にも落涙した》(「十二月八日の記」)
アメリカによる経済的な抑圧政策(いわゆる米・英・中・蘭のA・B・C・D包囲網)は、戦後の東京裁判でパール判事が指摘したようにすでに日本に対する“先制攻撃”であり、日本人はそのことを日々の生活のうちにすでに痛覚していた。開戦時に際しての高村光太郎の言葉は、したがって当時の国民の声を代弁したものであったろう。そこには詩人の率直で純心な肉声が漲っている。
満州事変以後の対中国戦争が泥沼化するなか、苛立ちと後ろめたさを感じ始めていた日本人が、アジア諸国を蹂躙(じゅうりん)してきた白人、その西洋列強の代表たる米英との真っ正面からの戦争に、「世界は一新せられた」と歓喜したのも当然である。
※SAPIO2015年4月号