ネット上では日々「子育て」について議論が展開される。子育て経験者と未経験者の間では常に温度差が存在するが、評論家の金美齢氏が、ネットで議論になりがちな出産・育児問題に言及した。
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「『子どもいらない』は人に非ずなのか」
こんな挑発的なタイトルの記事が掲載されたのは『AERA』(2015年2月16日号)。この記事によると、少子化ゆえ国が推進する「出産礼賛な空気」のなか、女性が今、最も言ってはいけない言葉は「子どもは欲しくない」だという。記事には育休中の同僚が職場に赤ちゃんを連れてくるのが苦痛という30才女性や、地元の女子会で「子どもを欲しくない」と言ったらモンスター扱いされたという28才女性などが登場し、世に蔓延する「出産・育児至上主義」に押しつぶされそうだと嘆く。
記事は、「出産礼賛な空気が行き過ぎれば、“圧力”になることも忘れてはいけない」と結ばれている。
しかし、私はあえて言いたい。「子どもを産まない自由」を謳歌する女性は、それぐらいの“圧力”は受け入れなければならないと。
もちろん個人の自由は尊重するが、出産できる環境や状態にあるのに、「子どもいらない」と主張する女性は、人間としての責任を果たしていない。出産は人間の営みのなかで最も神に近い行為であり、それを拒否することが僭越であることぐらいは、やはり認識したほうがいい。
むしろ、「子どもを産まない自由」が優遇されすぎているのが今の日本なのだ。出産は個人の自由な選択であり、国や他人が口出しすることをタブーとする風潮が根強い。
だが、自由や権利ばかりを強調する女性に物申したい。人間、ひとりで生きているわけではないのだと。今は分業社会で誰しもいろんな人のお世話になっている。早い話、お米を作ってくれる農家がいるから、ご飯を食べられるのだ。
しかも現役時代はまだしも、年老いて介護が必要になれば、誰もが他人様の産んだ子供の世話になるはずだ。母親が10か月間、お腹のなかに子供を宿して痛い思いで出産し、大変な苦労をして育ててきた若い子の世話になる。そのことをどう思うか、「子どもいらない」と主張する女性たちに聞いてみたいものだ。
自分が生きることができている土台を省みず、「子どもを産まない自由」ばかり主張するのは、あまりに浅くて未熟な考えだ。命はつながっているし、これからもつなげる必要がある。産まない権利ばかりを擁護していては、この地球上から人間がいなくなってしまうのだ。
※SAPIO2015年4月号